『それは丘の上から始まった』
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<書評>『それは丘の上から始まった 1923年 横浜の朝鮮人・中国人虐殺』後藤周(あまね)著、加藤直樹 編集
[レビュアー] 安田菜津紀(フォトジャーナリスト)
◆民衆の暴力を黙認した警察
関東大震災を、単に自然災害として語り継ぐだけでは不十分だ。この災害を生き延びたはずの朝鮮人・中国人が、流言飛語を引き金とした虐殺によって不条理な死を強いられたからだ。その背景には、日本の朝鮮に対する植民地支配と、差別意識、抵抗運動への恐怖があったとされる。
関東一円に広がった虐殺の「大きな発火点」は、横浜だったという。本書はその横浜で起きた事件について、著者自らが作成してきた「研究ノート」や歴史学習会の積み重ねから生まれた一冊だ。
ときに虐殺という加害の過去から逃避したい日本人が、歴史に「美談」という尾ひれをつけてしまうことがある。しかし著者は、今なお不明点の多い横浜での虐殺を、現代視点の「物語」や願望で埋めようとはしない。小学校で見つかった当時の子どもたちの「震災作文」や公文書、回顧録など、膨大な資料を丹念に読み解き、考察している。
甚大な被害に遭った横浜では、行政・治安機能が麻痺(まひ)し、通信・交通が遮断されて孤立する中、激しい略奪も横行する。南部丘陵地の「平楽の丘」には、4万人もの人々が避難していたとされるが、発災当日の夜、「朝鮮人の襲来」「放火、強姦(ごうかん)、井戸に投毒」という流言が、残忍な虐殺を引き起こす。地元警察署、警察官が流言を肯定し、民衆の暴力を認め、黙認したことが、「決定的な影響を与えた」と著者は指摘する。「朝鮮人殺害差し支えなし」といった言葉の下、事態は凄惨(せいさん)を極めていった。
ところが、この虐殺によって起訴されたのは、横浜市内では一件のみ、それも日本人に対する誤殺だった。また中国人虐殺は、日本政府が隠蔽(いんぺい)し続けてきたことも明らかになっている。事件を「なかったこと」にするこうした力学は、残念ながら現代の公権力の姿勢にも引き継がれている。
「ヘイトデマが現れたとしても、決して揺るがない社会が実現すること」を望むと著者は綴(つづ)る。それは、本書に込められたような、過去への真摯(しんし)なまなざしからのみ成せるのではないだろうか。
(ころから・1980円)
1948年生まれ。元公立中学教員。本書が初めての著作。
◆もう1冊
『九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』加藤直樹著(ころから)