あやしい胸底のあれこれ 乙川優三郎『クニオ・バンプルーセン』

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あやしい胸底のあれこれ

[レビュアー] 乙川優三郎(作家)

乙川優三郎・評「あやしい胸底のあれこれ」

 出がらしの作家を自覚している。

 そういう歳ではあるが、物忘れがすすんで佳い言葉を思い出せない。致命傷を感じて落ち込むものの、ありがたいことに日本語には意味の同じ別の言い方がたくさんあるのでどうにか書いている。もっとも、そんなものが小説の表現として立つはずもなく、ましな一文を求めてうろつく毎日である。

 そうした体たらくでも年齢が書かせてくれるものもあろうかと思い、未練たらしく机に向かい、念力で見失った言葉を手繰り寄せていると、一日はすぐに過ぎてしまう。徒労でありながら、思惟は生きていたということにして希望をつなぐ。煎じ詰めればぼうっとしているだけのことだが、そんな一日にも意義を見出せるのが作家であろう。

 長編小説を書こうとするとき、おぼろげな構成とともに夢が膨らみ、必ず佳いものになると錯覚することがある。文章は書きながら練るしかないと分かっているのに、そんな夢を見ることから私の執筆ははじまる。そしていつものように冒頭でつまずく。

 私の場合、書き出しが拙いと最後まで修正がきかなくなるので、これでよいと思えるものになるまで書き直すことになる。言うなれば最初から正念場である。効率の悪い執筆だが、そこをクリアしないことには先へすすめないのだから、仕方がない。

“クニオ・バンプルーセン”の冒頭部分は比較的早く書けた方だが、思い切って千字ほど削った。直感で、いらない、と思い、捨てることはよくあるので、惜しいとも思わなかった。けれども、もしこの時点で編集者が読んでいたら、あってもよいのではないかと言うに違いないと思った。彼らは読者にとって非常に親切な説明が好きだし、主人公がほかでもない編集者であるから、なおさら正確無比の文章を期待するはずであった。

 長編はその期待に応えてすべてを言いつくすことができるが、私は好まない。想像あっての読書であり、行間あっての小説だと思うからで、そこを編集者がつついてくるなら、

「教則本を書くわけではないから」

 というのが私の密かな返答であった。

 そもそも編集者には自信家が多く、小うるさい。押し並べて人当たりがよく、押し並べて底意地が悪い。見識はあるが、他業種での経験がないせいか、意外に考え方が狭い。海千山千の作家から見ると、知的な凡人といった印象が強い。しかし、よい目を持ち、よい仕事を選んだ人たちでもある。

 若くして鬼籍の人になった編集者に佐野久男がいる。例に漏れず、自信家の彼が、あるとき担当している私に向かって言わずもがなのことを口にしたことがある。

「貯金を切り崩して食べているんですか」

「そうです」

 終の棲家の設計と他県への移住の準備に忙しかった私は、そのころ小説を発表していなかった。無収入である。だが、彼は私の暮らし向きを案じて言ったのではなかった。

 フォークナーやトマス・ピンチョンを評価し、日本の現代文学には厳しい点をつける男で、酒場にいたのか、今の小説はろくでもない、貯金で食ってる場合ではないというようなことを、呂律の怪しいねちねちした口調で言い続けた。一夜の失策であろう。その彼が他社刊行の拙作を読んで、久しぶりに震えましたとわざわざ電話をくれた日もあった。どちらも佐野久男で、作家より作品そのものを見つめていたことは間違いない。言動に著しい誤差があって、おもしろい人であった。

 そうした編集者の生態を書いてみようかと考えたのはずいぶん前のことだが、相手が酔眼の理論家なら、こちらは惚けてきた頭で立ち向かうのがちょうどよいような気がして取り組むことにした。無茶は十八番である。

 編集者を書くことは作家を書くことでもあり、私の属する文芸を書くことでもある。どう書くかと考えていたとき、これも加齢の仕業かと思うが、突然フィリピンの知人のことが思い出された。私よりひとまわり年上の人で、酒がたっぷり入るとよく横田基地のことを話した。当時の私は若く、ベトナム戦争も終わっていたので、その場ではピンとこないところがあったが、ひとりのときに整理すると、彼はニッケルと呼ばれた二人乗りの戦闘機に乗って日本からベトナムへ毎日のように出撃していたのだった。根っからの軍人ではないから、おそらく金のために志願して横田基地に配属されたのだと思う。命を拾う出撃を繰り返しながら、生きて母国へ帰ることができたのはまさしく幸運であった。

 異国で人の運不運をよく目撃した私は、日本の頭だけで生きているような人種を尊敬できない。安全地帯にいるからできることだと思う。作家にも編集者にも評論家にもそういう人がいる。よい仕事に就いていながら、肝心の芯が抜けているように感じてしまう。編集者と文学を書くからには別の視点がいると考えた。

 そのとき、またなんの前触れもなくアメリカ人のミスター・バンプルーセンを思い出した。一時期私の上司だった人で、外部からきたマネージメントの専門家であったから、弁が立つ。こちらのブロークンイングリッシュも真剣に聞いてくれる。彼のような人に日本文学を語ってもらう方が、日本人同士でごちゃごちゃ言い合っているよりすっきりするのではないかと思い、クニオ・バンプルーセンというバイリンガルを創造した。フィクションだが、私の小説にはどこかにそうした体験が息衝いている。

 くだんの佐野久男が聞いたら、プロセスより結果ですよ、と分別らしく薄笑いを浮かべて言いそうである。たしか女性関係もそんなふうであった。得てして男性編集者は伝統の社風に染まるが、編集者としての味わいはむしろ異色の人の方に表れる。作家として作中の与田のような人と仕事をしてみたいと思うのは、おそらく私ひとりではないだろう。

 日本文学は優れていると思う。言語の特質を無視した駄作も多いが、可能性を秘めた新しいものも生まれている。老いぼれの願いは言葉をもっと吟味することで、世間の口語が乱れているから小説もそのままというのでは知的創造物として情けない。小説は文の芸です、芸は芸術の芸ですよ、と言いたい。そこを踏襲する人がいずれ大成するだろう。

 執筆は楽々とゆくものではないが、書ければ相応の喜びが待っている。ただ、その充足に浸れる時間は短い。だから、次のために今日の駄文を洗うことも心がけてほしい。

 本という造形美術のあり方を作家として考えてみることも大切であろう。正直なところ、私はいま書店に並ぶ文芸書を美しいと思うことはない。品がなく、持ち歩くのも恥ずかしいような本ばかりである。かつて新潮社の本には老舗らしい落ち着きがあり、角川書店の本には洗練が見え、早川書房の本には洋が発光していたが、似非イラストが主流の今は見る影もない。活字と装幀は文学の花実であるから、売れようが売れまいが美しくあるべきだというのが私の考え方で、これには異論も多いと思うが、見苦しい本を世に出して恥ずかしくないのですかと版元に訊ねてみたい。編集者による定石通りの本作りは限界にきていて、他業種のデザインに二十年は後れてしまったというのが私の実感である。

 これが最後の本になるかもしれないという思いから、今回は本作りに参加させてもらった。いきなり満点とはゆかないが、小さな芽は出たように思う。ひとりの作家と読者を結ぶ本のおもしろさは、肌を触れ合うことなく終生の伴侶になり得ることではないだろうか。あらまあ、と美しい本に見てくれる人の多いことを願うばかりである。

新潮社 波
2023年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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