『ことにおいて後悔せず』
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『ことにおいて後悔せず 戦後史としての自伝』菅孝行著
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
新左翼・芸術…苦闘に誇り
いま六十歳前後の読者には、菅孝行の『フォー・ビギナーズ 全学連』(一九八二年)で戦後史を学んだという人が少なくないだろう。大学時代の評者もその一人だった。アカデミズムの政治史・社会史研究の対象が、まだ戦後まで及んでいなかった時代に、反体制運動に視点をすえながら現代史を明快に教えてくれる本だったのである。
このたびの回想録で菅は、映画、演劇、新左翼運動、予備校教育といった、多方面にわたるみずからの活動を詳しく振り返っている。技術系の陸軍中将を父にもち、戦後の学習院初等科から学校生活を始めたという出発点が異色である上に、一九六〇年代からずっと、無党派主義を貫きながらラディカルな運動に関わってきた、その軌跡が独特である。
鈴木忠志や唐十郎、また著者自身に代表されるような、六〇年代に新しい演劇を始めた世代は、「未来は明るい、歴史は進歩する」という常識や、「戦後の世界」の自明性に対する疑いを強く抱いていたという。そうした実存の問いから出発した、演劇・映画・美術など芸術分野における「地殻変動」が、六八年の学生反乱をはじめとする政治運動の突発を先導していた。その重層的な過程をめぐる証言の書でもある。
八〇年代からは、「風が止まった」と菅が表現するように、ラディカルな政治と芸術を支える社会の空気は急速に退潮して、柔らかいナショナリズムと消費文化が支配するようになる。そのなかで運動の「陣地」を随所に築こうとした苦闘の回想は、外部からの切り崩しや裏切りの記憶も多く含んでおり、読後感は軽くない。だが、多くの「祝祭的昂揚(こうよう)」を身体を張りながら支えてきたという誇りが饒舌(じょうぜつ)な語りの内にみなぎっている。
なお巻末の年譜では、一九八四年度に東京大学教養学部で非常勤講師として一・二年生のゼミナール(学生自治会からの要望に基づいた出講)を担当した経歴を、おそらくわざと省いている。そこにもやはり、権威に対する批判者としての矜持(きょうじ)を感じるのである。(航思社、3850円)