『海の見える風景』早川義夫著

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『海の見える風景』早川義夫著

[レビュアー] 尾崎世界観(ミュージシャン・作家)

「寂しさ」真っ直ぐ響く

 海の見える街、鎌倉で、愛犬と暮らす日々を綴(つづ)った静かなエッセイ集。著者はミュージシャンだが、このエッセイからはほとんど音が聞こえてこない。普段、頭の中で声を出したり、周りの環境音を聞いていたり、場合によってはテレビがついていたり、音楽が流れていたり、様々な音と共に文章を読んでいる。でもこの本はとても静かだった。何か変わった仕掛けがある訳でもなく、ごくシンプルな文体とともに、文字だけがすっと頭に入ってくる。この伝わりやすさの正体は「寂しさ」だろう。無駄が削(そ)ぎ落とされたその言葉から真っ直(す)ぐに伝わってくる寂しさは、ベタベタしておらず、どこか爽やかでさえある。ちょうど作中にも出てくる、つげ義春の作品に通じるような、誰にどう思われようとべつに関係ないといった強い寂しさだ。その寂しさのほとんどはパートナーを亡くした悲しみで出来ているように感じられて、随所で彼女との思い出や、自身に残る後悔が語られる。かと思えば、犬の散歩中に声をかけてきた若い女性や出会い系サイトに興味を持っていたりと、時々ちょっと生々しい。

 たとえば世の中には御(お)中(ちゅう)元(げん)みたいなやりとりが溢(あふ)れている。これを言ったらこう思われるんじゃないか。あれをやってもらったのだからいつかお返ししなければ。そうしたものから切り離した気持ちで書かれている言葉だから、静かに響く。

 誰かに癒やしてもらうことが前提の寂しさや、誰かと繋(つな)がるための寂しさが溢れる中、ここに書かれている寂しさはちゃんと孤独だ。その寂しさを消してしまえば、大事なものもなくなってしまう。寂しさを紛らわすためでなく、寂しさを寂しさのまま大切にするための寂しさ。音を鳴らしている人だから、無音を知っている。ミュージシャンなのに音が鳴っていないのではなく、ミュージシャンだからこそ音が鳴っていないのだと、読み終えてようやく気づいた。(文遊社、1980円)

読売新聞
2024年2月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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