『国鉄史』
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『国鉄史』鈴木勇一郎著
[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)
「官」と「民」の境界線探る
嵐が来ようが豪雪に見舞われようが、学校へ行くのが人間のあるべき姿だと学んだ。それが唯一、今日は休んでもいいと許されたのが、1970年代の国鉄のストライキの日だった。「うまくいけば」、月曜から土曜まで都心の学校は休みになった。歳時記のように鉄道にストが繰り返された頃。それは、人々が活気にあふれ、鉄道が確かに社会を支えている日々だった。
タイトルにある「国鉄」という言葉は、明治以来、87年の分割民営化まで、国が所有し、国の運輸政策の下に一元的に管理運営した全国規模の鉄道組織を、通しで指している。
レールは多様な時代を生きた。殖産興業の礎として当然の国策だった時代、復興と経済発展が強力な労組と交錯した時代、田中角栄に象徴される政治が半ば強引に敷設した時代、地方を切り捨てていく行革主役の時代。だが、いざ「国鉄」が消え去ってみると、地域の鉄道輸送を維持できる現実がいまや無い。
歴史の節目節目を的確にとらえて「国鉄」を語る好著だ。時折入る古い著作や発言の引用が、鉄道の命運を左右した過去の一瞬の臨場感を読者にもたらす。頁(ページ)を通じて、社会にとってどこまでが税金を使う責務で、どこからが営利企業の儲(もう)け話になるべきかという、「境界線」が語られ続けていると受け止めた。経済が先鋭化して、税金や公務員を極端な悪役に仕立てた挙句、公共性や福祉を冷静に語れなくなったいまの日本を、鉄道を題材に問うているともいえる。JR体制の構造的限界を熟慮すべき時期が来ているというのが、本書の結論のひとつだ。
55年間通勤電車に揺られてきた私はといえば、雪が降り始め台風が近づくと明日の列車を止めてしまういまの鉄路に、社会と鉄道の関係の疲労破壊を実感している。雪に立ち向かって列車を走らせ、それに懸命に乗る人間がいてこそ、鉄道と社会は健全だと信じつつ、過ぎ去った「国鉄」の残り香を、行間から嗅ぎ取った。(講談社選書メチエ、2035円)