『1947』長浦京著

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1947

『1947』

著者
長浦京 [著]
出版社
光文社
ISBN
9784334102005
発売日
2024/01/24
価格
2,750円(税込)

『1947』長浦京著

[レビュアー] 遠藤秀紀(解剖学者・東京大教授)

兄の敵 日本兵追い来日

 過ぎ去る時は容赦ない。事が起きてからざっと七十五年経過すると、体験者は世の中から退場する。数年前、太平洋戦争が時の壁の向こうに去った。ちょうどいま、連合国軍による日本の占領が、生の体験の世界から伝聞の歴史へ移行しようとしている。物語は、まさにそのGHQが支配する東京を、鮮やかに描き出す。

 主人公は1947年秋に東京へやってきたイギリス人だ。大戦中、フランスでレジスタンスと呼応して対独戦を生き抜いた猛者である。多数の敵に囲まれようとも、銃で刃(やいば)で拳で冷静に撃退、窮地を脱する戦闘技量と経験を備えた設定だ。だが、彼の兄は、ビルマで日本軍の捕虜となったうえに、無惨に斬首されていた。

 言葉の通じない東京で、兄を殺した「戦犯」を一人一人探し出して殺し、指と耳を切り落として英国に持ち帰ることが、彼が背負わされた宿命だ。けっして許すことのできない日本人を、彼は猿と蔑(さげす)む。

 背景を勝者と敗者が織り成す。勝者であるアメリカとイギリスは、同床異夢。イギリスはGHQにぶら下がる日和見のお飾りだ。そして、GHQは正しい統治者どころか、ときに戦犯の嫌疑を見逃し、ときに利権を供与しては、日本人と朝鮮人が構成するやくざを操ることに執心している。

 戦争を生き延びれば、敗れた者のみならず勝った者の人生をも、「戦犯」が蝕(むしば)む。生き残った誰もが人を信じず、人を憎む。勝者と敗者の辛苦に満ちた会話がひたすら続き、間(かん)隙(げき)に正義から見捨てられた殺し合いが挿入される。

 ヒューマニズムから見れば、ほぼ救いのない物語か。しかし、本作は、人々が進駐軍を紙の上でしか知ることのなくなる時代の節目に、緻(ち)密(みつ)な虚構を築きながら現れた。憎悪と流血に終始する人間たちの奥深い描写は、読者によってこれから語られていく、東京の遠い過去の一光景となるに違いない。(光文社、2750円)

読売新聞
2024年3月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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