込み入った状況を底意地悪く突き放す受賞第一作。前作を上回る面白さ!

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込み入った状況を底意地悪く突き放す受賞第一作。前作を上回る面白さ!

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


『文學界』2024年5月号

 市川沙央の芥川賞受賞第一作「オフィーリア23号」が『文學界』5月号に発表された。

 今作の語り手も一人称の「わたし」だが、前作『ハンチバック』のように当事者性を云々されることは、まずあるまい。

 主人公の「わたし」は、23歳の大学院生・藤井那緒。女性差別的奇書とされる『性と性格』を残し23歳で自殺した、19世紀の哲学者ヴァイニンガーの生まれ変わりを自認する那緒は、『性と性格』を学習させた生成AIを使いSNSでヴァイニンガーの思想を蘇らせて、「ネット上に蠢くミソジニスト集団の経典にすることを夢見ている」。

 同時に那緒は、劇団を主宰する恋人・南村和人から、三島由紀夫の『憂国』を映像化してポルノ動画サイト「Pornhub」に投稿する計画を持ち掛けられ、これに乗ることにする。那緒の修論のテーマは「ヴァイニンガーと三島由紀夫」である。

 医者である那緒の父は母に日常的に暴力を揮っていた。兄と那緒には暴言を投げ掛けていた。那緒のミソジニーはDV被害により生じているのだ。

 こうした舞台に、「クィアな正義と善意の閉鎖空間である」フェミニズム研究会や、「TRA」と「TERF」など、現在社会でせめぎ合いが生じている問題が放り込まれ、そして「女はいない」という観念の表象としてのオフィーリアで作品全体は包まれている。

 現実社会の写し絵として申し分のない複雑に込み入った状況や関係を、ヴァイニンガーを憑依させた那緒は底意地の悪さを湛えた突き放した視線で見ているのだが、那緒も実は自分の真意を知らない……。前作を上回る面白さである。

 朝比奈秋の新作「サンショウウオの四十九日」(新潮5月号)のテーマは結合双生児。いつもながらのセンセーショナルな主題選びとたしかな筆運びで読ませるものの、手法にややあざとさが感じられてきた。

 樋口恭介「あなたがYouなら私はI、そうでないなら何もない」(文藝夏季号)は9割が生成AIで書かれた小説だが、まったく話題になっていない。5%の九段理江に全部持っていかれてしまいましたね。

新潮社 週刊新潮
2024年5月16日夏端月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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