「一日も早く『笑点』という番組が消えてほしい」――立川志らくが振り返る「若き日の過ち」

エッセイ

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全身落語家読本

『全身落語家読本』

著者
立川 志らく [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/諸芸・娯楽
ISBN
9784106005930
発売日
2000/09/18
価格
1,430円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

落語進化論

『落語進化論』

著者
立川 志らく [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/諸芸・娯楽
ISBN
9784106036811
発売日
2011/06/24
価格
1,210円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

落語に吹く「江戸の風」

[レビュアー] 立川志らく(落語家)


立川志らく 写真:(C)山田雅子

 俳優、コメンテーター、エッセイ執筆でも大活躍している落語家の立川志らくさん。かつて自身が書いた2冊の落語論『全身落語家読本』『落語進化論』(いずれも新潮選書)について、あらためて振り返ってもらった。

立川志らく・評「落語に吹く『江戸の風』」

 まだかなりとんがっていた30代の頃に勢いで書いた落語論が「全身落語家読本」。タイトルは「全身小説家」という映画の影響。原一男監督の「ゆきゆきて、進軍」に続くドキュメンタリー映画。この2作品にカルチャーショックを受けて、タイトルの候補は自分としては「ゆきゆきて、落語家」か「全身落語家」であったが、当時真打になって5年、世間に志らくこそが全身落語家だとアピールするのにはこのタイトルの方が効果的と判断し、更に読本(とくほん)を付け加える事で、これは落語の教科書だという意味を込めたのだ。勿論、内容は師匠談志の若き日に書いた、今なお落語家並びに落語ファンのバイブル的存在の「現代落語論」を意識している。

 発売当初、1番反響があったのは笑点批判であった。以前から多くの古典落語ファンが心に思っていた事。それを30代の若造が書いたから衝撃的であった。要約すると、落語=笑点と世間に思われている事が許せない。若手落語家の目標は笑点に出演する事ではなく、きちんとした落語を語る事だ、それなのに世間は笑点こそが落語家の到達点だと誤解している。だから1日も早く笑点という番組が消えてほしい云々。これは多くの古典落語ファンの声であった。また古典落語の名人を目指していた若手落語家の総意でもあった、と私は思っていた。これを公に発言したのは志らくが初めて。だから多くの古典落語ファンからは賛同の言葉を頂戴したが、笑点に出演している先輩落語家からの怒りは相当なものだった。談志は当然、私を支持してくれると思いきや、「志らくはそう言うが、あの番組の存在意義はちゃんとある」と完全否定。そりゃ談志が作った番組だからそう言うだろうが、普段は笑点の事をボロクソに貶していたから私には師匠の本意がわからなかった。

 しかし後年、笑点の存在意義がわかった。自分がテレビに沢山出るようになり落語界を俯瞰で見ることが出来たからだ。つまり笑点が、1980年代から2005年あたり(ドラマ「タイガー&ドラゴン」のヒットにより落語ブームがくる)までの落語冬の時代を繋いでくれていたのだ。落語冬の時代とは談志、志ん朝、小三治師匠といった全国区のスターの後に続く落語家は春風亭小朝師匠だけしかいなかった時代。それでも世間が落語を忘れなかったのは笑点があったから。私の笑点に対する暴論は、談志から言わせれば世間の落語のイメージが笑点ならば、笑点を無くすのではなく、己が笑点を上回ればいいだけ。現に談志がそうであった。強い者に消えてくれというのは敗者の理論。私は自分がテレビに沢山出演するようになって知名度が全国的になった時、毒舌コメンテーターのイメージがまとわりついても落語になんら支障はなかったし、笑点の存在が邪魔だとは思わなくなっていた。令和の時代になり、この『全身落語家読本』を読むとその部分は本当に駄目なんだが、でも若手落語家がこれだけの御託を並べられるというのは凄いと思うし、若き日の過ちも含めて落語への愛は十分に感じ取ってもらえるはずだ。

『落語進化論』は『全身落語家読本』から約10年後に出版した落語論である。立川志らく47歳の時の本。落語家になってまる26年。20人近くの弟子を取り、談志が亡くなる半年前である。実は『全身落語家読本』を出版した前後から映画監督に手を出し、続いて劇団を旗揚げしたのだが、自分の興味が落語より映画や演劇に行ってしまい、「タイガー&ドラゴン」の際に巻き起こった落語ブームに乗り損なってしまったのだ。落語そのものに飽きてしまっていたのだろう。それを目覚めさせてくれたのが私をこの世界に誘ってくれた高田文夫先生の「お前は落語家になりたい、談志の弟子になりたいと俺に言ったんじゃなかったのか!」の一言であった。映画や演劇にどっぷりはまるのではなく、あくまでも軸足は落語に置くべきであった。その事に気が付き、映画や演劇で経験した全てを落語に還元して落語を進化させようという思いで書き上げたのが『落語進化論』である。

 この中で一番言いたかったのが談志がぼそっと呟いた「江戸の風」である。「江戸の風が吹くものを落語と言う」。この言葉を落語の世界に広めたのは私だという自負はあるが、その真意は殆ど伝わっていない。落語ファンの多くは「江戸の風」=「江戸っぽい」である。全く違う。江戸の昔を描くのが落語の本質ではない。落語にしかない、言葉では説明しづらいが落語を愛するものならわかる、あの空気感。あのナンセンスな匂い。思い返せば私が落語に惚れたのは「江戸の風」を感じたから。子供の頃、星新一のショートショートに夢中になっていたが、そこに落語が現れた。落語全集を読み漁った。星新一は勿論面白い。でも「江戸の風」は吹いていない。だから私は落語の方により惹かれていったのだった。その「江戸の風」がなんであるのか知っていただく為にも是非「落語進化論」、そして「全身落語家読本」を読んでみてください。

新潮社 波
2024年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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