『三井大坂両替店』
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『三井大坂両替店 銀行業の先駆け、その技術と挑戦』萬代悠著
[レビュアー] 櫻川昌哉(経済学者・慶応大教授)
江戸の金貸し 目利き力
金融取引が通常の財の取引と違うところは、資金を貸し出してから返済までに時間がかかり、そして資金の貸し手が借り手から騙(だま)されやすいという厄介な問題が発生するところにある。よって金貸し業が成り立つためには、借り手に騙されないための“目利き力”が必要となる。
本書は、日本初の民間銀行の源流とも言うべき三井大坂両(りょう)替(がえ)店(だな)を対象に、その目利き力がいかに店の繁栄を支えてきたかを膨大な資料をもとに読み解く。驚くべきことに、資料を所蔵する三井文庫にはほぼ4000件に達する顧客の信用情報のデータが眠っていた。
信用調査書には担保資産の評価や顧客の信用情報の内容がこと細かく記載されている。所得証明のなかった時代、手代と呼ばれる若手奉公人が正確な情報を足で稼ぐ。不動産の評価もまた精密であり、家屋敷が存在する場所によって評価は細かく異なっていた。貸し出し基準は厳しく、たとえ担保資産の評価が十分であっても、店の主人の品行や評判に問題があれば貸し出しをしなかった。申し込みのうち実際に融資を受けたのは20%未満と少なく、審査がいかに厳しかったか、そして信用に値しない借り手がいかに多かったかを物語る。
「両替店」と名乗ったのは、幕府の公金を大坂から江戸へ運ぶ仕事を任されていたことに由来する。一般の人々からの預金ではなく、幕府の公金を貸し出して莫(ばく)大(だい)な利益をあげた点が現代の銀行と異なる。当時の法制度では「法の下の平等」は存在せず、貸し手や借り手の身分に応じて明確な差別があり、公金をもとにした貸出債権は優先的に保護された。幕府に近いという役得もまた繁栄の一因であった。
銀行の貸出業務である担保の評価と信用調査の方法が江戸期に既に確立していたことが明らかにされたことは学術的に価値が高い。金融史のひとつのエピソードに留(とど)まらず、金融の本質に迫らんとする読み応えのある一冊である。(中公新書、 1100円)