■3-6 色々なことを曖昧にしてしまう独特な空気

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

更新

前回のあらすじ

西田の埋蔵金調査地図をヨックモックの缶にしまい、俺の「埋蔵金大探査ノート」の上にその缶を置いた。そのようにして夏休みは終わった。枕元に置きっぱなしのスマホが鳴る、それはハルさんからの電話の着信だった。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■3-6 色々なことを曖昧にしてしまう独特な空気 

「喫茶モダン」の駐車場には古い輸入車が1台停められていた。ナンバーは隣の県だった。店内に入るとまだハルさんは来ておらず、身なりの良い老婆がカウンターに座っていた。この店にカウンター席があったのか、とその日はじめて気づいた。
…なのよね。それを主人が競り落としてきたんですけど、遺族の方がまとまったお金が必要だったみたいで、とっても安かったのよ」
 老婆は欧米風のジェスチャを交えながら話した。その手には巨大なサファイアのついた指輪がはめられている。「これは高級品です」という字が彫ってありそうな指輪だった。
「なるほど。それは幸運でしたね」
 と老店主はカップを拭きながら答えた。
今野こんのさんも美術品を扱ったら如何かしら? このあたりの土地なんて、これから下がるばっかりでしょう」
「いや、私は芸術はからっきしでしてね。この店の美意識のなさを見ていただければ、おわかりでしょう?」
 と店主は笑った。この老人に表情というものがあると、俺はその時はじめて知った。座席に向かいながらちらっと老婆の顔を見たが、まったく知らない女性だった。
 飲食店に見知らぬ顔があるのは当然だが、この店に俺とハルさん以外の客がいた記憶がほとんどない。いなかったという記憶もない。頭のなかの映像を冷静に振り返ると、奥の薄暗い席に誰か座っていたような気がするが、顔はまったく浮かんでこない。漫画やアニメの背景に描かれるような人影だけがそこにいる。
 読みかけの本を家に置いてきてしまったので、糸綴じになっているメニューを端から端まで見た。今月から消費税が10%になったはずだが、値段が書き換えられた様子はない。そもそも俺はこの値段が税込みなのかを知らないし、会計を払ったこともない。ハルさんが払っているのかもちゃんと覚えていない。
 記憶力はいい方なのだが、この店にはそういう、色々なことを曖昧にしてしまう独特な空気がある。そもそもこの店にはレジがあったか? カウンターに目をやると、実用品なのか昭和レトロのインテリアなのか微妙なレジが確かにある。その横には電話のアイコンみたいな電話が置かれている。
 そんな様子を見ていると、店主が俺のほうにやってきて、
「さっき連絡があってね。ハルさんはあと15分ほどで来るよ」
 と告げた。時計を見ると約束の20分前だった。時間どおりなのだから連絡の必要はなさそうだが、前回は本人の急病でキャンセルになったので、念入りに連絡を入れることにしたのだろう。
 コーヒーをひとくち飲んだ。相変わらずコンビニコーヒーみたいな味と香りを口に含ませながら、妙だな、と気づいた。
 ハルさんは俺の電話番号を知っているのだから、連絡するときに店主を介する必要性はない。そんなことをする理由は何だろう?
 可能性はふたつ思いつく。ひとつめは、ハルさんが自分で話せない状態、ということだ。本人が熱中症で倒れ、娘のサクラが連絡してきたのがその例だ。だが今回はハルさんが来ると言っているのだから、電話ができないほど健康状態が悪いとは考えづらい。
 だとすれば、ハルさんが「ハルさん」でない、つまり鵜沼うぬまモモコの状態である、ということだった。
 そういえば初めてハルさんの家に電話をしたとき、応対したサクラが「鵜沼ハルは電話に出られない状態です」と言っていたのを覚えている。俺はそれを「どこかに出かけている」と解釈したが、あれも「ハルが降りてきていない」という意味だったのだろう。
 となると、鵜沼ハルでない状態の鵜沼モモコは、俺との会話を避けている、と言えた。モモコは一方的に俺のことを知っているはずなので、何かしら嫌われる要素があったのかもしれない。特に思い当たる理由はないが、「思い当たる理由がなくても、俺のことを拒否する人間はいる」と受け入れるのに特に抵抗はなかった。
 ただ、この可能性は少し不自然だった。鵜沼モモコが俺を避けているとすれば、「時間通りに来る」と連絡する必要はないことだ。もちろん前回の急病のことはあるが、避けている相手に対する念の入れ方としては奇妙だ。