「演劇と呼んでいいのか危うい」舞台・ねじまき鳥クロニクル主演の「渡辺大知」が語る意外な幼少期

そして、僕たちは舞台に立っている。

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音楽活動、俳優と他分野で活躍されている渡辺大知さん。本や絵が大好きで、物語を作る人になりたいと、自然と思うようになった子どもの頃から、小説、脚本、そして音楽と創作活動を広げ続けてきました。どれだけ研究しても正解に辿り着くことができない存在にロマンを感じるという渡辺さんが、今挑むのは作家・村上春樹さん原作の舞台「ねじまき鳥クロニクル」。演劇と呼んでいいのか危うく感じるほど、通常の芝居とは違うという渡辺さん。この舞台にかける想いを聞くと、渡辺さんの幼少期の経験との繋がりも見えてきました。創作のルーツから、現在に至るまでの道筋を自らの熱い言葉で語る貴重なインタビューです。

正解に辿り着くことができない存在にロマンを感じて

 とにかく本や絵が大好きな子どもで、幼稚園の頃は、『ちからたろう』や『つかまえた』などを描かれた絵本作家・田島征三さんの絵本が大好きでした。読むだけではなく、絵を描くことも好きだったので、習いにも通ったりして。気付いたら、物語を作る人になりたい、そう思うようになっていました。
 だからといって、その当時、就きたい仕事があったわけではなく。そもそも世の中にどういう職業があるかなんて知りませんから、絵本にかかわる何者かになりたいというより、絵本や本に囲まれて育ったので、いちばん身近な存在だったんです。
 積極的に創作したいというより、好きなものがいっぱいあって、もっとビックリしたりわくわくしたいから、その選択肢を増やすために僕自身も一つの提案として表現できる人であろうとしたんです。こういうのがあってもいいよね、面白いものまだ色々あるよねって。
 小学生になってからもそれは変わらなくて、次第に親が持っている小説を読むようになり、図書館にもよく通っていました。とりわけ「シャーロック・ホームズ」シリーズを、夢中になって読んでいました。
 特別ミステリー好きというわけではありません。どれだけ研究しても正解に辿り着くことができない存在にロマンを感じ、恐竜や妖怪に惹かれていて、ホームズにも同じように関心をもったんです。
 小学校4年生の時には、「日本シャーロック・ホームズ・クラブ」という研究会に入会しました。当時、最年少会員だったんですよ。ホームズの研究会はホームズ好きなら誰もが知っているような存在で、シャーロック・ホームズという小説の主人公をあたかも実在した人物かのように研究して「時系列的にこの時のホームズの行動はありえない」みたいなことを徹底的に議論するんです。作者のコナン・ドイルもそれほど深く考えていないであろう箇所を追究する研究者たちがあまりに不思議で。なぜ何十年もかけてこの研究をしているのか興味を持ち、会員になったんです。中学生になってしばらくして辞めてしまいましたが、謎を謎のまま研究し続けられていることにロマンを感じていました。

小説を書いて、脚本を書いて、曲を作る

 小学生になると小説を書き始めて、毎日、家で一人でずっと何かを書いていました。小説家になりたかったので、公募の文学賞に応募したりしていました。テレビで映画がよく放送されていたから、映画も身近な面白い存在に加わり、脚本家という仕事を知って興味を持ったので、小説だけじゃなく脚本も書いていました。
 中学2年の時、音楽の授業でギターを習ってからは、家で父のギターを弾くようになり、あるとき自分の想いをこめた曲を作ろうと、短編小説を書くように曲を作ったんです。
 僕の入っていた卓球部は、毎日練習のある厳しめな部活で…。それでも帰宅後に家で小説を書くわけですが、小説は書くのに時間がかかるからけっこうしんどくて。そんなときに、ギターと、音楽と出会って、気が乗れば、一日で曲は作れると知り、曲を作るようになり、それまで作ってきた小説もメロディに乗せられたらいいなとも思うようにもなりました。
 高校の入学式の後、一人で楽器屋に行ったら次の日学校で、「昨日楽器屋で見かけた」とクラスメイトに声をかけられて。彼との出会いをきっかけに「黒猫チェルシー」というバンドを組みました。僕は彼らに、人と何かを共有する喜びを教えてもらいました。それまでは、一人で自分の好きなものに向き合うだけで。なぜなら、僕が好きなものなんて、誰も理解してくれないだろうと思っていたから。けど、彼らは僕に、好きなものは、好きだという理由だけで話してもいいんだと教えてくれたんです。
 音楽は好きだったけれども、僕以上に音楽を好きな人に出会えたし、逆に小説や映画のことは僕の方が詳しいから彼らに紹介することもできた。そういう風にお互いに高めあいながらひとつの何かを作り上げていくことができたとき、世界が拓けた気がして。バンドって面白いなって思ったんです。