「生まれ変わったら大工さんになりたい」少年隊・錦織一清が”心をボキボキに折られた”壮絶舞台

そして、僕たちは舞台に立っている。

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 30代でつかこうへいさんに出会ったのがきっかけで、舞台演出をメインの仕事にするようになった錦織一清さん。
 前作に引き続き、今作「シャイニングモンスター 2nd step 〜てんげんつう〜」でも演出を手がけ、今は若い人から多くを学んでいると語る鬼才が、芝居と次の人生と幸せについて語り尽くす。

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役者は、芝居をしている数時間でその人の本質が出てきてしまう

 今年の5月に演出した「サラリーマンナイトフィーバー」という舞台の脚本に「サラリーマンっていうのは大変だろ、俺たち役者よりも。朝起きた時から芝居しているもんね」という台詞を入れたんです。サラリーマンって体裁だらけで、いつも芝居しているなと思ったからなのですが、そもそも社会にいる人達って、朝起きて、隣家の人と挨拶した瞬間から芝居して嘘ついて、本当の自分を分からせないようにして生きていますよね。満員電車でいまだにチカンをする奴なんて、しれっとしていない顔をしているだろうし、トイレに行って大きい方をしたのに、小さい方をした顔をしてしれっと帰ってくるのなんて、本質を隠したものすごい芝居だと僕は思うんですよ。
 けど役者は、舞台ならなおのこと、芝居をしている数時間で、その人自身の本質が自ずと出てきてしまう。持って生まれたものも育ちの良さも悪さも。たとえば、暴走族が登場する芝居に、暴走族の子を出演させてもその子が日常生活で本質的な優しさを隠しているとしたら、客を怖がらせる芝居はできない。役者になったばかりの頃は、喜怒哀楽を説明しがちなんですが、そうじゃない。勘違いしたらいけない。芝居は、その役柄に対して、自分の中の心あたりを穿ほじくり返すんです。物語はフィクションであっても、書かれている登場人物の感情、たとえば優しさや好戦的な態度には芝居する役者の本質がどうしても出てきてしまうんです。たぶん、一番素の自分が出てきてしまう仕事で、自分の本質が分かっちゃう。だから、面白い。つかこうへい先生は気に入らない舞台を観ると「まったく! 嘘みたいな芝居ばかりしやがって」って言うんですよ。それって本質を出していないってことなんですよね。

演出をしていてラッキーなのは、若い人からも学べるところ

 30代でつかさんに出会ったのがきっかけで舞台演出をメインの仕事にするようになったのですが、つかさんを前にして、心をボキボキに折られて、それまでの自分の演技に全然興味がなくなってしまって。あの頃って、年齢的にも、役者としても生意気な時期で。東宝系のミュージカルで外国人を演じる機会が多かったのですが、洋画を見ながら外国人の所作を真似たり、技術ばかりを追いかけてそれに溺れて、仲間と飲みながら、独自のメソッド論を戦わせたりしていました。
 そんなことばかりしていた頃、つかさんと出会って、「そんなことをしているからダメなんだ」と一刀両断されたんです。芝居をこねくり回した凝った演技をしては、「お前、どんな生活してんだよ。そんな台詞しか言えないのかよ!」と言葉で責められ、錦織一清自身を出さなければダメなんだと、浅ましい、卑しい芝居だとののしられる。その上、僕はつかさんの好きな、ものすごく不器用で武骨なタイプと真逆のボードビリアン的タイプだったので、つかさんは僕からそういう軽業師的な部分を全部取り上げて、何もさせてくれなかった。僕はただ突っ立ってしゃべっているだけ。うん。僕自身、ちぢこまってしまった面もありますね。
 今、演出をしていてラッキーなのは、若い人からも学べるところですね。色々教えてもらっています。
 先日、「飛龍伝2022」という舞台の演出をしたのですが、主役の一色洋平さんという役者がものすごかった。昔の僕とは全然違って、一色さんは感情だけを動かすから、本当にいい芝居でした。
「シャイニングモンスター」に出演している若い人たちもそうです。たとえば若だんなのような病弱な人で、実際にゲホゲホしている人っていませんよね。だから舞台でそんなことをしなくていいし、若だんな役の前川優希さんは、とても優しい人だから、それでもう充分。そもそも風体で言ったら、病弱で小柄なイメージの若だんなとは彼は真逆で、そのギャップも面白い。仁吉役の井澤勇貴さんは、一番礼儀正しいかな。そこは仁吉そのもので、きっとたくさん鍛えられてきたんでしょうね。