【試し読み】『最果ての泥徒』①
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2019年に日本ファンタジーノベル大賞を受賞し、作家デビューした高丘哲次さん。デビュー作の刊行から約3年半。膨大な数の文献収集にはじまり、幾度となく改稿を重ねた最新作『最果ての泥徒』は、壮大な世界観や史実を描くうえでのディティール、白熱のアクションなど、前作を更にスケールアップさせた入魂の1作が刊行されました。本書の冒頭部分を期間限定で毎日試し読み公開。
序
これから語るのは、マヤ・カロニムスという尖筆師の生涯についてである。
尖筆師という職業は滅びて久しく、この言葉を初めて耳にする者もあるだろう。尖筆師とは、泥で創られた躯体に霊息を吹き込んで仮初めの生命を与え、主人の命令に背くことない従者を創り上げる者―つまりは、泥徒の創造を生業とする者たちを指す。
この職業の歴史は古く、文献に残されている限りでも紀元一世紀にまで遡る。その長い歴史において、マヤは最も優れた尖筆師であった。
異論があることは承知している。
空気中の塵から泥徒を創ってみせたサマリアのマグス。泥徒の製造方法の基礎を打ち立てたヴォルムスのエレアザル。それら名だたる者たちと比べれば、マヤの業績はあまりに少ない。
マヤはその生涯において、たった一体の泥徒しか創らなかった。
マヤが泥徒に命令を下したのはただの一度きりだった。
あまりに特異なその経歴のため、彼女を偉大なる尖筆師の一人として数えることすら疑問を呈する者もあるという。しかし、尖筆師という呼称が泥徒を創る者を指す限り、頂きに置かれるべき名はひとつ。
主による原初の創造に等しい完全なる泥徒を創り上げることができたのは、唯一マヤだけなのだから。
第一部 一八九〇年 ――【王冠】の芽吹き
籠の中の街
窓から柔らかく差し込む日の光が、板張りの床に格子状の影を淡く描いていた。
床に敷かれた灰褐色のまだら模様に汚れたシーツの上には、人体を擬えるように泥の球体と円筒とが組み合わされていた。泥徒の躯体である。胸に当たる場所には、正方形の深い穴が穿たれていた。
躯体の傍らに座り込み、その穴を覗き込む一人の少女がいた。
少女の名は、マヤ・カロニムス。
何かを探るように穴の奥を見つめていたが、ふと気付いたように顔を上げる。部屋の隅に置かれたホールクロックの短針が十時を過ぎていることに気付くと、ぎょっと目を瞬かせた。
慌てて床に手を伸ばす。
その手が向かう先に置かれていたのは、真円の石板。泥徒にとって頭脳となり心臓ともなる器官―礎版である。外周から中心へと螺旋を描くように、微細な文字が刻まれていた。
マヤは王冠を戴くように礎版を両手で支え、躯体の穴へと静かに下ろす。焦りが手を震わせたが過つことはできない。泥徒の創造という行為は、術者の生命を奪いかねないほどの危険を孕んでいた。
湿った泥で穴を完全に埋め終えたところで、マヤは深く息をついた。