【試し読み】日本ファンタジーノベル大賞受賞&デビュー作『約束の果て』②
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最新作『最果ての泥徒』が話題の高丘哲次さん。2019年に「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞したデビュー作『約束の果て 黒と紫の国』の冒頭部分を期間限定で毎日試し読み公開。選考委員の恩田陸さん、森見登美彦さん、萩尾望都さんに絶賛された、史伝に存在しない二つの国を巡る、空前絶後のボーイ・ミーツ・ガールを堪能ください。
事の始まりは一ヶ月ほど前に遡る。
斉河は途方にくれていた。
机上には、偽史と小説が積まれている。別にここが市井の古書店なら問題はない。だが、伍州における学術の中心である科学院でそのようなものを考古資料として扱わねばならぬ状況に、頭を抱えたい気持ちになった。
積まれた本の傍らには、緑青の浮いた青銅器が置かれていた。半年ほど前に、伍州の南端に位置する三石県にて発掘された、矢を象った装身具だ。矢筈の部分に小さな輪があることから、首飾りとして用いられたものと見られている。
時の彼方から飛来したこの矢は、斉河に懊悩をもたらした。
もっとも、武具を象った装身具が出土することはそう珍しいことでない。古代の伍州において身を飾ることは、単なるファッションとしてではなく、呪術的な意味を併せ持っていた。邪を払うための剣などを象ったものや、妖魔を退ける怪獣をモチーフとしたものなど、一見すると身を飾るには相応しくない意匠がこらされた装身具の例は数多ある。
問題は、矢の軸に刻まれた銘文にある。そこには細かい字でこう記されていた。
「壙国の螞九、臷南国の瑤花へ矢を奉じ、之を執らしむ。枉矢、辞するに足らざるなり、敢えて固く以て請う」
つまり、壙という国の螞九という者が、臷南国の瑤花にこの粗末な矢を捧げ、受け取って欲しいと請うているわけである。友誼を結ぶために装身具を贈ること自体は、とりたてて注意すべき内容でもない。
斉河は矢に刻まれた文章を見つめながら呻くように言う。
「壙と臷南、そんな国がどこにあるというのだ」
古代の伍州においての「国」とは、現代でいう国家とは意味合いが異なり、外郭を持った城塞都市を指す。ここに記されている壙と臷南とは、伍州の統一王朝というわけではなく、多くの聚落を従える大邑を示しているのであろう。
青銅器を製造しうる文明を持った国であったのなら、いずれかの史書に記録されていて然るべきである。しかし、いくら出土文献の古文書や伝世文献の頁をめくっても、そのような名前の国など見当たりはしなかった。
壙と臷南という国は、歴史のなかに存在しないのだ。
そのことを所長に報告したところ、
「素晴らしい発見だ。文献にすら残らない、さらに古い時代の青銅器を見つけたということではないか」 と、彼は小躍りして喜んだ。
信ずるに足る文献にその名が記されていないのなら、出土資料の真正性を疑ってかかるべきであろう。そう指摘するべきか斉河が逡巡していると、所長はつばを飛ばしながら言い放った。
「この青銅器こそ、我らが伍州の正統な継承者であると示す天啓なのだ。朱白軍の支配する地から、伍州が興ったということを証明するため、天が地上に顕した徴に違いないではないか」
所長は、先の大戦で民衆のアジテーターとして名を馳せた文芸活動家である。彼の書いた扇情的な檄文は、何万という若者を戦場へと駆り立てた。現在の立場はその対価として与えられた名誉職であり、考古学に微塵も興味を抱いてはいないのだ。
所長の昂奮に赤らんだ顔を見て、斉河は呟く。
「むしろ、災厄をまねく呪われた銅器ではないか」
青銅器の発見と時期を同じくして、伍州を南北に分ける内戦が勃発した。戦後復興の利権をめぐる党派闘争が、武力紛争にまで発展したのだ。
所長がこうして口を挟んでくるのは、かつての栄光を取り戻すためなのであろう。この青銅器を伍州の歴史を一変させる大発見に仕立て上げ、それを手土産として朱白軍国民啓蒙局の重役にでも就こうという腹積もりなのだ。
所長は、民衆を焚きつけるための道具を必要としているに過ぎない。彼の頭のなかでは、国威発揚のための記念碑としてこの青銅器を掲げ、民衆たちの歓声を受けている自身の姿が既に出来上がっているに違いなかった。
「所長、しかしですね」
斉河はおずおずと申し出る。
「壙と臷南という国の発見により、伍州の国家年表を刷新しようとするのであれば、それを証するものが必要です。ひとつの青銅器にその国名が記されていたというだけでは、根拠として弱すぎます。少なくとも、それらがどのような国であるか、文献から導き出さなくてはなりません」
伍州は、歴史のなかで多くの文献を残してきた。欧州で活版印刷が普及するまでは、世界に存在する書物のうち約七割がこの国に集中していたという。それゆえ、伍州において歴史を研究するということは、すなわち文献を読み解くということであった。
その伝統は現在に至るまで受け継がれている。伍州の考古学研究は、文献史学的な指向が極めて強い。書物のなかに見出せぬということは、存在しないことと同義なのであった。
しかし、所長はこともなげに言い放った。
「ならば、見つければ良いだけの話であろう」
絶句する斉河に向かって、彼はため息まじりにこう告げた。
「鈍いやつだ。その根拠とやらを見つけるのが、お前の仕事だと言っておるのだ。こんなところで言い訳をしている暇があったら、図書館に籠もらんか」