【試し読み】日本ファンタジーノベル大賞受賞&デビュー作『約束の果て』⑥
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最新作『最果ての泥徒』が話題の高丘哲次さん。2019年に「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞したデビュー作『約束の果て 黒と紫の国』の冒頭部分を期間限定で毎日試し読み公開。選考委員の恩田陸さん、森見登美彦さん、萩尾望都さんに絶賛された、史伝に存在しない二つの国を巡る、空前絶後のボーイ・ミーツ・ガールを堪能ください。
螞九は、弾かれたように首を振った。有翼の識人が紐のついた銅鐘を片手でぶらさげ、撞木で鳴らしていた。有翼の識人たちは各々が楽器を手にし、ひとりが太鼓を打ち鳴らせば、別の者が笙を吹いて旋律を乗せてゆく。
すると、長い腕を持った識人が鵠へ向かって進み出た。彼と鵠との距離は歩数にすれば五十あまり。長腕の識人が弓を構えると、太鼓が小刻みに激しく打たれる。音曲の調子に合わせるように、識人は引き絞った弦を解き放った。
竿が大きくしなる。
揺れが収まってくると、鵠板の中央に矢が深々と突き刺さっているのが見て取れた。長腕の識人は弓をおろし、沸き上がる歓声に満足げな表情を浮かべ、もと居た場所に戻ってゆく。音曲が静かな調子になると、別の識人が進み出た。
様子を眺めるうち、螞九にも射儀というものが分かってきた。奏される音曲の調子に合わせて、識人たちは順番に矢を放ってゆく。鵠を射た者は射場に残り、違えた者は観衆のなかに戻る。射手が一巡すれば、鵠までの距離が遠ざけられまた同じことが繰り返されるのであろう。
そうする間に、まだ一度も弓を取っていないのは螞九と摯鏡の二人だけとなった。螞九は居たたまれない気持ちになった。弓もないのに、どうして鵠を射ることができよう。すると、摯鏡が先に足を進めた。その様子に観衆はどよめく。本来なら、地神代の順番は最後となるはずだった。
摯鏡の射は、瞬く間に終わった。
矢は弦へと番われたと見るより先に、右手から消えている。矢は鵠の正中へ移っているというのに、竿はしなりもしなかった。
神技を見た観衆は、破れるような歓声をあげる。
その異様とも取れる雰囲気に、螞九は吞まれた。
「いったい、どうしろと言うのだ」
彼を急き立てるように、奏される音楽は激しさを増してゆく。いっそ逃げ出してしまおうかと螞九が考えたとき、
「これを使うが良い」
摯鏡が自らの弓を差し出してきた。
螞九は、ぽかりとした表情でその弓を見つめた。しばし迷うように手を泳がせてから、差し出された弓柄をしっかと握った。
満足げに頷いた摯鏡は、諭すように言う。
「内志正しくして、外体直しくして、はじめて鵠を捉えることが出来る。過ぎたる執着は矢を曲げるのみ。顧みるのは己であり、鵠に当てようと思わぬことだ」
螞九は見よう見まねで弓を構えてみる。鵠に目を遣れば、なぜか遠ざかるように霞んでいった。慌てて弦を引こうとしたが、鋼で作られたように固く動こうとしない。
この時代の射法は、弦に親指をかけて引くのが常道である。親指を守るための指環が使われることが多いが、むろん螞九が用意しているわけもない。力任せに弦を引くと、蠟を塗り込んだ細い麻糸が食い込み激しい痛みが走った。
不格好な彼の射法を目にした観衆から、忍び笑いが漏れ聞こえてくる。力をこめたせいか、それとも羞恥心からか、螞九は自分の顔が赤らんでゆくのが分かった。
螞九は矢を放った。
実際は、弦の力に右手が耐えられなくなったという方が近い。放たれた矢は鵠を捉えるどころか、彼の足元に力なく突き刺さる。
観衆から沸き起こったのは歓声ではなく――耳を聾するほどの笑声であった。