【試し読み】日本ファンタジーノベル大賞受賞&デビュー作『約束の果て』③

『最果ての泥徒』刊行記念特集

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最新作『最果ての泥徒ゴーレム』が話題の高丘哲次さん。2019年に「日本ファンタジーノベル大賞」を受賞したデビュー作『約束の果て 黒と紫の国』の冒頭部分を期間限定で毎日試し読み公開。選考委員の恩田陸さん、森見登美彦さん、萩尾望都さんに絶賛された、史伝に存在しない二つの国を巡る、空前絶後のボーイ・ミーツ・ガールを堪能ください。

約束の果て

約束の果て

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なん
しゅれつこくえん 臷南じなん 第一回

 めいしょうぼうあんたる渾沌こんとんから天地が切り開かれ、邃古すいこがはじまった。
 地はしばらくあつもののごとく煮立っていたが、冷えるにしたがって徐々に固くなっていった。最初に平らかになったのは、中心にある黄原である。そこから青州、朱州、白州、玄州が固まってゆき、伍州ごしゅうとなった。地が定まると、そこに地神が顕れた。
 地神は大地を支配するため、伍州の端々にまでどうを行き渡らせた。完成した道のうえを巡りながら、流れる河をひき、地をう虫たちを生み、野を花で飾っていった。ただ、地神は大地のすべてを治めるもの。小さな虫や花などにまでかかずらっていられなかった。そこで地神は、それらを分掌する存在識神しきじんを生み出した。
 以上を踏まえれば、馳道は螞帝ばてい敷設ふせつしたとする通説は誤りだと分かる。邃古に地神が巡らせた馳道を螞帝が整備しなおした、と言うべきであろう。
 いずれにせよ、馳道は伍州に敷かれたものであるから外へはつながっていない。南国は伍州ではなく外界、つまり蛮地とされていたので、そこへ通じる道は石敷きでもなければ土がならされてもいなかった。草が踏み倒されているだけの、ほとんど獣道である。
 濃緑の草原をどこまでも貫く、一条ひとすじの淡緑。
 伍州と南とを繫ぐこの道のうえを、無数の黒点が連なっていた。広い草原のなかで見れば点に過ぎなかったが、近寄ればそれは人頭。彼らは黒光りする金属片を結び合わせたかぶとかぶり、黒色のどうよろいまとっていた。
 漆黒の武装は、彼らが壙国の兵であることを示している。何百という兵たちはいずれも苦しげに顔をゆがめていた。皆が歯を食いしばり、堪えるようにして歩を進めていた。
 南、そこは熱暑の国であった。
 伍州の全てを治める壙国といえど、南の暑さを知らなかった。兵たちにとって不幸なことに、壙国は黒を好んだ。日の光を受けた漆黒の武装は、触れれば火傷やけどをするほどに熱されてしまっていた。
 それにしても奇妙な行軍である。兵たちが立てる規則的な足音にくわえて、滑らかな笛の音も聞こえる。隊列のなかには楽人がくじんの姿もあったが、彼らがかなでる音曲は戦意を高めるためには風雅に過ぎるようだった。
 ならば、それは貴人を慰めるためのものに他ならない。
 兵たちにまもられ、四頭立ての巨大な軒車けんしゃが進んでいた。車箱のかわりに黒漆で塗られた大きな輿こしが据えられており、中をうかがうことができなかった。
 その更に先では、一台の戦車が長い隊列を導いていた。
 車上にある士官の名は、他の兵と同じく伝えられていない。彼は隊列全体の指揮を任され、何より貴人の安全を預かる者である。片時の油断もなく、厳しい視線を周囲に配り続けていたが―おもむろに、てのひらで目をこすった。
 自分の見たものが信じられないのか、身を乗り出すようにして前方を確かめた。
 それから首をひねり、傍らの馭者ぎょしゃをこぶしで小突く。
 戦車は速度を落とし、やがて停止した。後ろに続く軒車も、それを護る兵たちも止まり、つられて楽人たちも笛を口元から離す。隊列は完全に静止し、南の草原に静寂が戻った。
 道の中央には童女の姿があった。
 見渡す限り何もない草原のなかに、ぽつりと一人だけで。
 士官はその童女に向かって声をかけた。
「道を空けよ」
 壙国の貴人を妨げるような者があれば、ただちに処断してしかるべきである。童女が妖邪の類であると警戒したのかも知れない。
 声をかけられた童女は、首をかしげるばかりで道を空けようとしなかった。
 士官は、伍州の言葉を解さなかったのかと考え、
「道を空けよと言っておるのだ」と手で払うような仕草を見せた。
「おじさんって、壙の国からやってきたひと?」
 童女は訊ね返してきた。
 士官は対応に迷う。軍装から壙兵だと分かるなら、臷南においてそれなりの地位にある者の子女かもしれぬ。そうだとすれば、我らの進軍を妨げることがいかに危険か知っておくべきであろう。
「我らが壙国の兵なら、道を空けねばどうなるか」
 士官は脅すようにほこの穂先を向けた。