わたしたちに翼はいらない

わたしたちに翼はいらない

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 ひときわ地味だった彼女は東京の、莉子が知らない名の大学に入ってそのまま東京で就職したのだそうだ。同級生の誰かが出張先でぐうぜん再会したのだという。「別人みたいに痩せてきれいになってた」と言っていたと聞いて、莉子はわずかに鼻を鳴らす。
「ふーん」
 よっぽどがんばったんだろうね、と続けてコーヒーカップに口をつける。旦那は歯医者だって、と美南が言った時、ホイップクリームで白く染まった唇の端がゆがんだ。
「歯医者ってあんまりもうからないらしいよ」
 返事になっていない気がした。でも、そう言うべきだという気もした。
「見てよこれ」
 美南がスマホを取り出し、SNSの画面を開く。「興味本位で」、彼女のアカウントを検索し、繋がったらしい。こだわりがあるらしく、自宅とおぼしき部屋の画像ばかりが並んでいた。リビングは莉子のマンションの倍ほども広く見える。でもそんなに広い家に住んでいるわけがないから、よほど写真の撮りかたがうまいのだろう。
「あ、この人も同じ中学じゃない?」
 フォロワー一覧に、見覚えのある男子の名があった。彼の名を覚えていたのは学年で成績がいちばん良かったからだ。いつも度の強そうなメガネの奥から女子を盗み見ているような気味の悪い男子だった。アイコンは黒い大型犬の画像だ。本名で、しかもフルネームでSNSやってるんだ、と思う。有名人でもないくせに。
「ほんとだ…ちょっと見て、こいつニューヨークに住んでるらしいよ。似合わねー」
 ぎゃはは。美南が天井を向いて笑う。奥歯の治療のあとがはっきり見えるほど大きく口を開けて。ニューヨークだって、と莉子も調子を合わせて手を叩いた。
 東京。ニューヨーク。それらの土地は、莉子にとっては「テレビで見る場所」であって、自分がそこに行きたいとは一度も思ったことがない。
「中学とか高校で地味だった人にかぎって、外に出ていきたがるよね。なんでだろ」
 言ってから、あわてて「美南とかは違うけど」とつけくわえた。あと大樹も、と、それは心の中で。美南は短大、大樹は四年制の大学という違いはあれど、一度この街を離れている。大樹は最初から「地元で就職するつもり」だと決めていた。遠距離恋愛になっちゃうけど、と言って、シルバーのリングをくれたことを思い出す。莉子はそれをずっと左手の薬指につけていた。それが結婚指輪にかわるまでずっと。
 美南はフン、と鼻を鳴らす。鼻息で、テーブルの上の紙ナプキンが一瞬わずかに浮いた。