【試し読み】最旬作家 寺地はるな 「希望」を探すエール小説・新潮文庫版『希望のゆくえ』⑤

感涙! 最旬作家・寺地はるな特集

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弟の希望のぞむが放火犯の疑いがある女と姿を消したらしいと、母から連絡があった。僕は彼と交流があった人物に会いに行ったが、弟の印象はそれぞれまるで異なっていて―。弟はどういう人間だったのか。誰のために生きてきたのか。僕たちの声は、弟に届くのだろうか。それぞれの「希望きぼう」を探す優しいエールに満ちた本作の新潮文庫化を記念して、本日から5日連続で冒頭部分を特別公開いたします。

 柳瀬やなせくんをはじめて見たのは、高校一年の夏休み直前のことだった。「ふくろさん」のことがきっかけで、その存在を知ったのだ。
 ふくろさんは、高校の近くの公園にんでいた家のないおじさんだ。ベルトみたいにビニールひもを巻いて、そこに白いレジ袋をいくつもぶらさげていた。だから、ふくろさん。半径三メートル以内の人間の、鼻どころか目まで痛くさせるような臭気しゅうきを放っていた。レジ袋の重みでずりさがったズボンから常に臀部でんぶが半分露出していた。自動販売機の横のゴミ箱から空き缶をひろって生活しているらしかった。
 由乃はふくろさんがこわかった。得体の知れない相手というのが、おそろしくてならない。現れそうな場所はなるべく避けていた。たとえ近道であってもだ。ひとりの時は尚更なおさら
 その日の朝は、家を出るのがいつもより遅くなった。遅刻をさけるために、いやいやながら選んだ通りに、ふくろさんはいた。軽自動車がやっと通れるような細い路地で、ふくろさんは腰をかがめてゴミ箱をあさっていた。息をとめて通り過ぎようとしたが、由乃の通学鞄つうがくかばんの金具が腰にぶらさげているレジ袋に引っかかってしまったらしい。袋が破れて、なかみがぼとぼとと落ちる音がした。
 考える前に駆け出してしまった。背後でふくろさんがなにか怒鳴ったが、聞きとれなかった。存在そのものが恐怖であるふくろさんがものすごく怒っている。なにかされる。ぜったいなにかされる。路地を抜けて振り返ると、ふくろさんはこっちに向かってこぶしを振り上げていた。と思ったら、ぱっと振り返った。後ろからやってきた誰かがなにごとかを話しかけたらしい。その時点では、まだ「誰か」の顔はよく見えなかった。