憲法の「常識」を揺さぶる

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平和憲法の深層

『平和憲法の深層』

著者
古関 彰一 [著]
出版社
筑摩書房
ジャンル
社会科学/法律
ISBN
9784480068279
発売日
2015/04/06
価格
929円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

憲法の「常識」を揺さぶる

[レビュアー] 平山周吉(雑文家)

 本書の著者・古関彰一は、昭和天皇崩御の年に『新憲法の誕生』(現在は加筆されて『日本国憲法の誕生』)で吉野作造賞を受賞している。その憲法学の大家が、古稀を過ぎて、憲法成立過程の文献を改めて読み直し、自身の過去の業績も含めて再検討し、憲法の「常識」を揺さぶっている。刺激的で若々しい本である。

 著者の立場は、自民党の改正草案に唖然とする護憲派だが、自分の「立場」から議論を出発させていない。テレビや新聞でよく見かける、憲法を「不磨の大典」視する紋切型からは程遠い。あくまでも「事実の正確さ」を優先させている。

 論点は山盛りである。たとえば「GHQの押し付け」論については、形式的には明治憲法をできるだけ取り込んでいること、東京裁判の開廷をにらんで、昭和天皇の免責を確実にするためにマッカーサーが急いだこと、その結果、「多くの国民が願っていた天皇制の存置が可能になったこと」を対置させている。著者が重視するのは、GHQ案に影響を与えた鈴木安蔵などリベラルグループの憲法研究会案である。

 九条の戦争放棄に関しては、マッカーサーは「本土の非武装化と沖縄の基地化」を、セットとして構想した。憲法の是非を問う昭和二十一年四月の選挙の前には、沖縄県民の選挙権を停止する法改正が既に行われていた。沖縄選出の衆議院議員・漢那憲和の議会での悲痛な訴えを、著者は速記録から引用してくる。「全国民」(四十三条に「全国民を代表する選挙された議員」とある)から除外された沖縄の「国民」について、南原繁も宮沢俊義も何も発言していないことが書き加えられる。

 九条については、当初は「戦争放棄(戦争違法化)条項」であって、「平和条項」ではなかったことも強調されている。「九条は平和主義」と思うのは誤解であり、マッカーサー三原則にもGHQ案にも「平和」は書かれていない。

 では、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という文節は、いつ加えられたか。まだ誰もしていない詮索を、著者は議事録にあたって調べ直す。まず社会党の片山哲が「世界に向っての平和宣言」を戦争放棄の前に別条を設けたらどうかと修正案を出す。政府は当初は乗り気でないが、一週間後には態度変更し、平和に力点を置き始める。一ヶ月後、同じく社会党の鈴木義男が提案し、芦田均と外務省の意向が反映されて修正がなされた。

 勿論、憲法案には「平和」はあった。ただし、それは「前文」だけにあった。「前文」にはマッカーサーは関知せず、GHQの前文起草チームが作成した。「前文」は変更を許されない、もっとも「押し付け」色が強い部分であることを著者は認めている。

「前文」の意義が発見されるのは一九六〇年代に入ってからだった、という指摘も意外だが、「前文」は日米のクウェーカー教徒が関わったと著者は推測している。昭和二十一年元旦の天皇の「人間宣言」に関わったのが、そのクウェーカー教徒人脈であり、宣言には「官民挙げての平和主義」が書かれている。

「平和国家」という言い方なら、もっとさかのぼって、終戦から半月後、議会開会にあたっての勅語に見出される、と驚きをもって著者は記している。「朕は終戦に伴う幾多の艱苦を克服し国体の精華を発揮して信義を世界に布き平和国家を確立して」云々。「国体の精華」と「平和国家」が平然と結びついていることに私は驚く。「平和」の一語にしてから、現在の感覚から敗戦直後の混乱を体感することが容易ではないのだ。

 憲法をめぐっての面妖な事態はまだまだある。いわゆる「芦田修正」もそのひとつだ。「国際紛争を解決する手段としては」と「前項の目的を達するため」を加え、自衛のための戦力を保持できるように修正したとされるものだが、いざ秘密議事録が公開されてみると、「自衛戦力合憲の解釈」を導き出せる芦田の発言はなかったのだという。

 疑惑の目は、憲法の守護神ともいえる東大法学部の憲法講座の教授・宮沢俊義にも向けられる。宮沢は帝国憲法の改正は必要ないと言明していたが、突如、「平和国家の建設」を訴え出した。その間に何があったか。この豹変については、江藤淳が『占領史録』の解説で夙に弾劾していたことである。感情的反撥からか、著者の古関は、江藤説をまっとうに検討していなかった。江藤が『一九四六年憲法――その拘束』で、九条二項は「主権制限条項」だと指摘したことを知り、あらためて江藤説を検証し、その「慧眼」を遅ればせながら認める。

 宮沢はGHQの憲法案をいち早く知って、コペルニクス的転回(転向)をしたのではというのが江藤の批判だった。古関は東大が宮沢を委員長に「憲法研究委員会」を設置した日付けに注目する。それはGHQ案が政府に手交された翌日という早業であった。集まった委員は法学部を中心に二十人。東京帝国大学が総力を挙げて激変する憲法体制に対して「政治的ヘゲモニーを握る」のが目的である。帝国憲法において伊藤博文は『憲法義解(ぎげ)』を著わして、憲法解釈のオーソリティとなった。伊藤博文の権威を襲い、「立法府や行政府の解釈に機先を制する」。宮沢たちは見事に勝利する。

 完全犯罪のように見事な宮沢にも、抜かりがあった。宮沢はGHQ案の政府の正式な翻訳文を、あろうことか山手線の網棚に忘れてしまったのだ。その失態から、宮沢はGHQ案の外務省仮訳をも入手済みだった、と古関は論証していく。

新潮社 新潮45
2015年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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