『暴力とアディクション』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
<書評>『暴力とアディクション』信田さよ子 著
[レビュアー] 秋山千佳(ジャーナリスト)
◆名づけられるべき壮絶な痛み
2024年は能登半島地震から始まった。不安定な世相で感じる不安や辛(つら)さを、「被災地の人と比べれば」という比較により否定してきた人もいるのではないか。著者はそんな「感覚の喪失感」が、カウンセラーとして向き合ってきたDVや虐待などの暴力の被害者と大きく重なるとし、「今こそ、私たちは痛みについて向き合うべきだろう」と述べる。
DVも虐待も、今でこそ我々の身近にありふれたものとして認識されているが、「じつは日本では二一世紀になるまで、家族の間に『暴力』は存在しなかった」。DV防止法が01年、児童虐待防止法が00年にできるまで「法的には家族の暴力などなかった」からだ。
そもそもDVという言葉が世界女性会議で生まれ、日本に上陸したのは1995年のこと。近年問題視される教育虐待にしても、「一九七〇~八〇年代に学童期を過ごした四〇代以上の方に聴き取りをすると、彼らが受けてきた壮絶な教育虐待に言葉を失」うというが、当時はしつけや愛情の発露などと称され、暴力とは捉えられていなかった。
「どんな言葉も名づけられる必要が生じたから誕生する」と語る著者の歩みの中に、名づけられる必要がある暴力とアディクション(依存症)の当事者の苦悩があった。著者は70年代からアルコール依存症などのアディクションに関わってきた第一人者だが、今や人口に膾炙(かいしゃ)した「生きづらさ」という一語はその過程で生まれたものだという。
暴力とアディクションという本書の二本柱には、いずれも家族の問題が密接に絡んでいる。家族の背後には、社会がある。著者が向き合ってきた個人の問題は、この社会の構造的問題に繫(つな)がっている。実は誰もが他人事(ひとごと)ではいられないテーマなのだ。
だからこそ、読み進める中で心を刺すような痛みを覚える人もいるだろう。私自身がその1人だが、本書と出会えてよかったという思いが強い。「痛みと名づけられそれが承認されることは生存の基本をとり戻すことを意味する」からだ。
(青土社・2200円)
1946年生まれ。公認心理師・臨床心理士。『家族と国家は共謀する』。
◆もう一冊
『男尊女卑依存症社会』斉藤章佳著(亜紀書房)