川島芳子、総理狙撃、帝銀事件

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川島芳子、総理狙撃、帝銀事件

[レビュアー] 稲垣真澄(評論家)

 さほど大部でもない二百ページ弱ほどの本書には、じつに多くの昭和史のトピックが出てくる。次から次へという感じだ。むろんてんでんばらばらにではない。見え隠れする糸に引き寄せられて互いがつながり、やがて大きな脈絡を形作るさまを俯瞰するのは、大げさにいえば息を呑むというか、ごくまれに読書に恵まれる醍醐味ではなかろうか。

 あらかじめ列挙すると、以下のごとくである。昭和五年十一月、東京駅四番線ホームでの二十七代総理、浜口雄幸狙撃事件。狙撃者は佐郷屋留雄、使われたのはドイツ製モーゼル式八連発拳銃である。狙撃が原因とは断定できぬ細菌感染で翌年死去する浜口の遺体鑑定人が清野謙次京大教授だった。著名な医学者にして縄文人骨の分析から日本人起源論をリードした高名な人類学者というのが彼の表の顔なら、高山寺、神護寺などの寺宝大量窃盗事件の犯人は裏の顔である。

 犠牲者十二人の戦後の怪事件・帝銀事件も触れられる。平沢貞通逮捕は明らかな冤罪で、真犯人として著者が見定めるのは、かつて731部隊の衛生班に所属した金沢医大卒のX。Xの上司が731部隊長の石井四郎軍医中将で、石井の恩師が清野謙次というわけだ。「細菌の毒がうやむやのうちに人を殺す」という鑑定での知見を清野が石井に伝え、悪魔の細菌研究を促した可能性をも示唆する。

 作家・武者小路実篤の「新しき村」運動も登場する。狙撃犯・佐郷屋は少年時代に新しき村で生活したことがあり、武者小路に「留ちゃん」というエッセーまであるからだ。武者小路は、労働にいそしみ共同生活する村民たちからやがてセザンヌ、ミレーのような芸術家が生まれるのを願ったというが、結果的に躍り出たのは一人の総理狙撃者だった。

 そしてなんといっても「男装の麗人」「東洋のマタ・ハリ」と呼ばれた川島芳子の生涯である。清朝の皇族・粛親王の第十四王女に生まれ、川島浪速の養女として日本で育つ。戦後は漢奸(中国の国家反逆者)として北京で銃殺刑に処せられるのは周知の通りだが、芳子にはじつは“拳銃誤射”事故で命をなくした弟がいる。粛親王第十八王子・金憲開。昭和四年、日本の士官学校を卒業直後の記念旅行で別府滞在中、亡命将軍・張宗昌の拳銃が暴発し、四十五メートルも離れた所にいた彼に命中する。誤射か故意か。当時の官憲は中国人同士のもめごとでもあり、簡単に誤射と決めたらしい。

 その際の拳銃を芳子は「弟を偲ぶよすがとしたい」と貰い受ける。そしてほどなく所持することに不安を覚え、後見人でもある愛国社主宰の岩田愛之助に「お国のために使ってください」と託す。それが一年後に愛国社の新人、佐郷屋青年が浜口狙撃に使ったモーゼル拳銃だったことはいうまでもない。

新潮社 新潮45
2016年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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