「私」を訪ねてくる新しい「私」…懐かしむような語り口のディストピア小説

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大きな鳥にさらわれないよう

『大きな鳥にさらわれないよう』

著者
川上, 弘美, 1958-
出版社
講談社
ISBN
9784062199650
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

「私」を訪ねてくる新しい「私」…懐かしむような語り口のディストピア小説

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 始まりは、ごくさりげない。

 白いガーゼのうすものをはおった「行子」「千明」といった名を持つ女たちが、子供たちの手を引いて湯浴みに出かける。

 どこかのひなびた温泉町のように見える情景に少し違和を覚え始めたころ、日本のようなこの土地が、いまはもう日本でない、と明かされる。子供の成長は早く、人々の寿命は短く、食料も子供も、ぜんぶ工場でつくられている。だれも見たことのない未来の暮らしを、この小説は遠い昔を懐かしむような、おっとりとした口調で語り始める。

 次の章では「私」のもとに「私」が訪ねて来る。訪ねてきた「私」は、扉を開けた「私」よりもずいぶん若く、髪も長い。「私」はもともと「私たち」と暮らしていたが、二十五歳になったときに旅をして今の家に来た。新しい「私」が来て、役割を終えた「私」は去って行く。

 これは、さまざまな趣向を集めた短篇集なのだろうか。そう思って読んでいるうちに、独立しているように見えた短篇が、互いに連関し、大きな物語の一部を構成していることが次第にわかってくる。

「私たち」は、「母たち」とも呼ばれていること。「見守り」という役割の人間がいること。人の心や未来が読める、異能の人々がいること。さらに個性の際立つ集団もいる。初めのうちは、登場人物同様、読者も限られた視野でしか見ることができないが、新しい部屋の扉が開くたび、世界が広がっていく。

 何かが起こり、終わりに向かいつつあるこの世界で、最後に語るのは誰なのか。初めの章の意味がわかったところで、作家が構想した壮大な未来図が姿を現す。

 今年に入って、村田沙耶香(『消滅世界』)、吉田修一(『橋を渡る』)、そしてこの小説と、作家たちがそれぞれのディストピアを描いていることが興味深い。いまの世界を彼らがどう見ているかが、当然のことながらそこには色濃く投影されている。

新潮社 週刊新潮
2016年6月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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