70年経てふり返る出版人の足跡

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小尾俊人の戦後

『小尾俊人の戦後』

著者
宮田昇 [著]
出版社
みすず書房
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784622079453
発売日
2016/04/26
価格
3,888円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

70年経てふり返る出版人の足跡

[レビュアー] 佐久間文子(文芸ジャーナリスト)

 七十年前、長い戦争が終わって人々が争って活字を求めたとき、新しい出版社が次々生まれた。本書が描く、小尾俊人(おびとしと)のみすず書房もそのひとつで、昭和二十年代後半、多くの社がつぶれたときにやはり経営危機に陥ったが、持ちこたえていまも続いている。

 本書は小尾の伝記で、小尾自身が語ることが少なかった、創業のころに焦点を合わせている。一九二二年、長野県の諏訪(現在の茅野市)に生まれた小尾は、工業学校を卒業して上京、岩波書店に断られて羽田書店に入社し、夜学に通う。明治学院在学中に学徒出陣。敗戦で復員して、みすず書房をおこした。二〇一一年死去。

 著者は翻訳権エージェントの草分けで、出版文化史にくわしい。六歳年長の小尾とは仕事を通じて知り合い親しい友人でもあった。時期を創業のころに絞ったのは、敗戦後の日本の出版社を描く、という文化史家としての興味だけでなく、当時の若者が、戦争体験を経てどういう精神形成を遂げたかをたどろうとする、同時代人としての関心もあったと思う。

 みすず書房の社名は、信濃にかかる枕詞の「みすずかる」からとられている。岩波や筑摩書房など長野の人がおこした出版社は多いが、みずからを育んだ信州文化に対して小尾自身は複雑な感情を抱いていたようである。

 友人自身がほとんど語ることのなかった若き日の足跡をたどるため、著者は何度も諏訪に赴き、生家の跡地や卒業した学校を訪ねる。何のてがかりもないところから、親族の協力もえて、中学時代に書いた研究論文なども発掘していく。

 出版のスタートは、片山敏彦の著書と、片山らが訳す全五十三巻にもなるロマン・ロラン全集であった。徒手空拳の軍隊帰りの若者は、誠実な熱意で片山を動かす。「自分で自分をつくった」人、すなわちすぐれた独学者であり、片山の周囲のグループや、丸山眞男ら「柊会」のグループなど多くの研究者と親しくつきあい、学び続けた成果を出版にフィードバックした。

 不思議な縁もつないでいる。森鴎外の娘、小堀杏奴の確定申告を代わりにやっていたり、学生時代、小島信夫の家に下宿していたという縁で、小島の『アメリカン・スクール』と、庄野潤三の『プールサイド小景』という芥川賞受賞作を出版したり。文芸出版から手を引いていった経緯の分析が、著者ならではの着眼で興味深い。マスプロ、マスセールスの波にのまれず、常に距離を置いた。

 若き日の恋心や進歩的文化人に対する忌憚のない評価もつづられた一九五一(昭和二十六)年の小尾の日記と、PR誌「みすず」のあとがきも併録され、ぶ厚い一冊となった。

新潮社 新潮45
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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