ジェーン・スー「生きるとか死ぬとか父親とか」
2016/03/05

第1回 この男、肉親につき。

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本連載は、書き下ろしの原稿を加えて、2018年春に書籍化の予定です。

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題字・絵 きくちまる子

 我が家では、元日は墓参りと決まっている。「我が家」と言っても七十七歳の父と四十二歳の娘ふたりだけの限界集落ならぬ限界家族で、元日の墓参りが決まり事になったのは、母親が十八年前に鬼籍に入ってからのことだ。
 待ち合わせにはいつも私が遅れてしまう。遅刻癖は父親譲りのはずだが、年寄りは暇なのか、最近は待ち合わせ時間の十分以上前からそこにいることが多い。
 今年の元日も、父は私より早く文京区にある護国寺に到着していた。カジュアルな中折れ帽にユニクロのグレーのライトダウンを着て、石屋さんの大時計の下に腰掛けていた。一日中テレビを見ながらソファに寝そべっているからだろう、腹筋と背筋が退化して、ズルリと椅子に腰掛けている姿を見ると気が滅入る。普段は派手な色を好んで着ているのに、今日に限って全身墓石のような色合いだ。墓場の石屋に墓石のような男がいると思ったら、それが父だった。
「あけましておめでとうございます」
 新年の挨拶をしながら、私も石屋に入る。いつもは人気の少ない店内も、正月は墓参りの客がひっきりなしに出たり入ったりで活気づいている。
 石屋のおかみさんから「こないだ来たときに着ていたブルゾンが本当に素敵だったと話していたのだけれど、今日は違うの着てきちゃったのね」と残念そうに話しかけられた。おかみさんも墓石ダウンが気に入らないらしい。
 前回の墓参りに、父は真っ赤なブルゾンに私が買ってあげたボルサリーノの中折れ帽をかぶり、首にはクリーム色のカシミアマフラーという出で立ちで現れた。どこの司忍かと思ったら父だった。なかなか良く似あっていたので「とても文無しには見えないよ!」と最大級の賛辞を送った。
 外車でも乗り回していそうな出で立ちが栄えるこの男には、全財産をスッカラカンにした前科がある。まあ彼が自分で稼いだ金だし、私が保護下にあるときにお金のことで困ったことは一度もないので、それはそれで良いのだけれど、それにしても大胆に無くしたなと感心する。

 奥から出てきたお店のおばあさんにも「あら、今日は赤いブルゾンじゃあないの?」と言われ、父は暑かったからとか寒かったからとか、適当な返事をしていた。そのあとお店のご主人も出てきて、同じようにブルゾンのことを尋ねられていた。前回その場にいなかったふたりが赤ブルゾンのことを知っているということは、おかみさんが話したのだろう。おかみさんは父の赤ブルゾンをずいぶん気に入ったらしい。父は女によく好かれる男だ。

 花と線香を手に、父と緩やかな坂道を上がる。元日はたいてい天気がよく、今日も雲ひとつない青空だ。
「俺はババア専門なんだ」
 唐突に父が話しだした。なんのことかと尋ねれば、件の赤いブルゾンを着ていたら、地下鉄で知らないおばあさんから「素敵ね! 私、その色が大好きなの!」と声をかけられたと言う。ちょうど長いエスカレーターに乗ったところで逃げ場もなく、延々とそのおばあさんの褒め言葉を浴びていたらしい。「バアさんがさ『ほら今日の私の靴もその色よ!』って足元を指差すんだけど、どう見たって靴は茶色なんだよ」と父が笑う。父はそうは言わなかったけれど、知らないご婦人からこれ以上声をかけられたくないから、今日はグレーのダウンにしたのだろう。背負ってるにも程がある。
 葬式でもない限り、老人は常に明るい色を着たほうがいい。老人だけじゃない。冬になると、街を歩く中年以降の男はみんな煮しめたおでんみたいな色の服を着ていて、とてもみすぼらしく見える。地下鉄の中ではおじさんたちが揃いも揃って昆布みたいな色のセーターの上にがんもみたいなブクブクしたコートを着たりして、おでんの妖精かよと思う。

 父と私は現在バラバラに暮らしている。母が亡くなってから二度ほど同居を試みたことがあるが散々だった。お互いを憎み悪態をついて殺伐とするので、同居は断念した。
 私が子供のころ、父は煽ってきた車に窓を開けて大声を上げるような気性の持ち主だった。今ではずいぶん丸くなり、人の話を聞く素振りができるようになった。三つ子の魂百までとは言うものの、実際には七十歳ぐらいまでではないだろうか。父を見ているとそう思う。そこからは「老い」という大波が絶え間なく押し寄せ、否応なく尖ったところを削りとっていく。それでも花崗岩が軽石になるわけではないので、当たりどころを間違えればこちらは大怪我をすることになる。

「マカ般若ハーラーミーター マカ般若ハーラーミーター」
 墓石に手を合わせながら、父が節をつけてお経を唱え始めた。母が亡くなってから最低十年は毎朝経典を手に般若心経を唱えていたのに、父はついにマカ般若ハーラーミーター以降を一節も記憶しなかった。どうかしていると思ったけれど、一度も唱えなかった私よりは徳が高いと思うことにしよう。
 なんちゃって般若心経のあとはいつも「美智子さん、晋一郎さん、チカコ姉さん、ご先祖さま、いつも見守ってくれてありがとうございます。娘も私も元気にやっています」と、墓に入った人たちにお礼と近況報告をするのが父の習慣だ。美智子は母の名で、晋一郎は父の父、私の祖父にあたる人の名だ。父は三人兄弟の末っ子で、上は兄ふたり。チカコ姉さんが誰なのか、私はよく知らない。早くに死んだ姉だと聞いたこともあるけれど、それも記憶が不確かだ。伯父二人からチカコ姉さんの話は聞いたことがない。

 私が父について書こうと思ったのには理由がある。彼のことをなにも知らないからだ。一緒に過ごしてきたあいだのことはわかっている。しかし、それ以前のことはチカコ姉さんが誰なのかわからないように、はっきりとはわからない。一緒に過ごしてきたこの四十数年だって、私が目で見て感じてきたことしかわからない。いままで生きてきて一番長く知っている人のはずなのに、私は父のことをなにも知らないも同然だ。
 母は私が二十四歳の時に亡くなった。明るく聡明でユーモアにあふれる素敵な母だった。しかし、母は私のまえではずっと「母」だった。彼女には妻としての顔もあっただろうし、女としての生き様もあったはずだ。しかし、私は母の「母」以外の横顔をなにも知らない。今からではどうにもならない。私は母の口から、母個人の人生について聞けなかったことをとても悔やんでいる。父については、同じ思いをしたくない。

 そんなことを考えながら墓に手を合わせていたら、武藤さんのお墓にも水を遣れと父が言う。武藤さんは向かいのお墓で、あまり人が訪ねてこない。いつからか、桶に残った水を「いつもお世話になっています」と言って少しだけ掛けるようになった。
 武藤さんのお墓に水を掛けるとき、私はいつもうっすら邪な気持ちを持ってしまう。十年くらい前にちょっとした金額の宝くじを当てた父は「武藤さんの墓に水をあげているから、武藤さんが当ててくれた!」と喜んだ。そんな訳はないのに、それからしばらくの間、父は武藤さんのお墓にたっぷり水をあげたり墓石に話し掛けたりしていた。当の本人はそのことをすっかり忘れているようだけれど、私はどうしても忘れられない。そんな馬鹿なと思いながら、もう一度当ててくれないかなと、揉み手をするような気持ちで武藤さんの墓石にやさしく水を掛けてしまう。
 墓参りが終わると、ふたりで音羽のロイヤルホストに行く。以前はホテルオークラを懇意にしていた父は「ファミレスなんて味のわからない馬鹿が行くところだ」とずっと悪態をついていたのに、スッカラカンになったらいきなり柔軟性を発揮した。いまでは「ロイホを馬鹿にする奴はわかってない」と同じ口が平気で言う。
 父は七十七歳にしてはよく食べる方だと思う。この日もパスタ付きのビーフシチューをペロリと平らげた。前回は、ハンバーグを食べたあとにフレンチトーストまで食べていた。フレンチトーストはホテルオークラの看板メニューで、父の大好物でもある。母が夜になると、キッチンで卵と砂糖と牛乳にバニラエッセンスを数滴入れた液体に食パンを浸していたのを思い出す。翌朝の父と私に食べさせるためだった。
 父はコーヒーを飲まない。好きなのはロイヤルミルクティーだ。ロイヤルホストのドリンクバーには当然ロイヤルミルクティーなどない。温かいミルクもない。植物性のコーヒーフレッシュは嫌がるので、私はいつもコーヒーカップを両手にひとつずつ持ち、ラテ・マキアート(エスプレッソと少なめの泡立てたミルク)のボタンを押す。最初の数秒だけ温かいミルクが出てくるので、左手のカップにそれを注ぐ。ゴボゴボと音がしてきたら次はエスプレッソが出てくる。私はカップをさっと引き、右手のカップを差し出してエスプレッソを受け止める。温かいミルクだけが入った左手のカップにはアールグレイのティーバッグを入れ、少しだけお湯を足す。これで簡易ロイヤルミルクティーの出来上がりだ。私はエスプレッソが入った右手のカップを再びマシンの下に置き、もう一度ラテ・マキアートのボタンを押す。苦み走りまくったダブルショットのラテ・マキアートが私の飲み物になる。
 父に我が儘を言われたわけではない。そもそも、私がこんな曲芸じみたことをしてロイヤルミルクティーを作っていることを父は知らない。ではなぜ周囲に訝しがられながらこんなことをしているかと言えば、それは私が女だからなのかもしれない。血の繋がった娘の私でさえ、この男を無条件に甘やかしたくなるときがある。他人の女なら尚更だろう。女に「この男になにかしてあげたい」と思わせる能力が異常に発達しているのが私の父だ。私も気を引き締めていないと、残りの人生は延々と甘やかなミルクを父に与え続け、私は残りの苦み走った液体をすすることになるかもしれない。
 (つづく)

本連載は、書き下ろしの原稿を加えて、2018年春に書籍化の予定です。

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