【聞きたい。】海老名香葉子さん 『私たちの国に起きたこと』
[文] 産経新聞社
海老名香葉子さん
■まだ気持ちは収まってない
「私にとって、この本は遺書のような気がします」
落語一門を支える「おかみさん」であり、また絵本作家、エッセイストとしても活躍する海老名さん。しかし本書では人生の原体験である戦中戦後のつらい記憶にさかのぼり、自らの半生を記していく。
東京・本所区(現墨田区)の和竿(わさお)職人の娘として生まれ、家族に囲まれ幸せだった戦前の日々。だが、「それが一瞬にして消えうせました」。昭和20年3月10日の東京大空襲で、両親と祖母、兄弟3人という一家6人を失ったからだ。
11歳で孤児となった後、親類の家を渡り歩くことになるが、敗戦後の人心荒廃の中、財産や土地は子供である海老名さんが知らないところで奪われてしまう。「みんな変わってしまったんですよね。しようがないと言えばしようがないかもしれないけど…」
70年前、この国で何が起きたのか。生きている限り、自らが体験したことを語り続ける務めを自らに課している。「残さなきゃならないことは、残しておかないと。また繰り返しては大変ですから」
広島や長崎、沖縄と比べて東京大空襲の慰霊はあまりに不十分と訴える。そのため平成17年、私財を投じて東京・上野に大空襲慰霊碑と母子像「時忘れじの塔」を建立。毎年、空襲前日の3月9日には慰霊の集いを開いている。
だが、「まだ私の気持ちは収まってないんです」とも。家族の遺体はついに確認できず、「行方不明」のままだからだ。そう話すとき、声には涙がまじる。
「遺体が見つからないから、ふんぎりがつかない。今でもまだ、どこかで生きているんじゃないか、って言葉に出してしまいますね。家族があの炎の中で死んだんだと思いたくない、そういう気持ちがありますから。70年たった今でも、そのことで泣いてしまいます」(小学館新書・760円+税)
磨井慎吾
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【プロフィル】海老名香葉子
えびな・かよこ 昭和8年、東京生まれ。27年に落語家の初代林家三平さんと結婚。55年の三平さん没後はおかみさんとして一門を支え、エッセイスト、作家としても活躍。著書に『うしろの正面だあれ』など。