サイモン・シンは“ET”の通訳だった

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

サイモン・シンは“ET”の通訳だった

[レビュアー] 青木薫(翻訳家)

『フェルマーの最終定理』で、数学三世紀の謎に挑む数学者たちの姿を感動的に描いて世界を驚かせたサイモン・シンは、その後も暗号の歴史をドラマチックに描いたり、宇宙論をテーマに科学とは何かを考えさせたりと、納得の意欲作を世に送り出してきました。とくに前作の『代替医療解剖』は、それまでのアカデミックなテーマから、「科学ジャーナリズム」の課題へと踏み出し、新たな地平を切り拓くエポックメーキングな作品となりました。シンがその方向を取るのであれば、次は……と考えていたところに出てきたのが、今度の新作です。

 正直、驚きました。アメリカのアニメ、それも毒気たっぷりの『ザ・シンプソンズ』だというのですから。たしかに、欧米の科学者に『ザ・シンプソンズ』ファンが結構いるらしいことは、私も翻訳に携わるなかで経験的に知っていましたし、私が訳した本の著者のなかには、このアニメのキャラクターを作品中で活躍させる人もいたほどです。しかし私は、その理由について深く考えることもなく、単に、英語圏で人気のキャラクターだからだろう、ぐらいに思っていました。ですから、あのサイモン・シンが、なぜ『ザ・シンプソンズ』? と、頭の中が「?」だらけになったのです。

 しかし本書を読み始めるとすぐに、頭の中の「?」は「!」に変わりました。なんと、このブラックでお下劣なジョークだらけのアニメが、数学出身の脚本家チームの力によって作り出されていたとは! これほど多くの数学ネタが盛り込まれていたとは! 私の心にじわじわと複雑な思いがわき起こってきました。どうして私は、このアニメの数学ネタに気づかなかったのだろう……。理系オタク(?)を自認する身としては、悔しいではありませんか!

 とはいえ、先のインタビューでシン自身が語っていたように、彼もまた、フェルマーの最終定理が目に留まるまでは気づかずにいたといいます。となれば、私ごときが気づけなかったのも無理はないでしょう。

 そんなことを考えながら本書を訳し終えた今、ふと思うのです。もしかすると、『ザ・シンプソンズ』に隠された「数学ネタ」は、数学宇宙のETたちが、友だちを求めて発している信号なのかもしれない、と。「誰か気づいてくれないかな。気づいてくれたら、きっとよい友だちになれるよ……」。

 サイモン・シンは本書で、そんなETたちと私たちとの通訳を買って出てくれました。折に触れて、ひとりひとりのET(数学系脚本家)にもスポットライトを当てながら、彼らの言葉をみんなにわかるように噛み砕き、背景にある数学の世界に案内してくれます。日本の読者のみなさんにも、お下劣さと知的クオリティが両立する『ザ・シンプソンズ』の世界、英語ジョークと数学ジョークが交じり合う異世界(!?)を、きっと楽しんでいただけるでしょう。

 ようこそ! 『ザ・シンプソンズ』と数学の世界へ!

新潮社 波
2016年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク