“愛”は“支配”か?――カオスな街の「人間臭い混沌」がページの隙間にぎっしりと詰まった懐の深い警察小説『新宿特別区警察署 Lの捜査官』

レビュー

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新宿特別区警察署 Lの捜査官

『新宿特別区警察署 Lの捜査官』

著者
吉川 英梨 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041098875
発売日
2020/11/27
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

“愛”は“支配”か?

[レビュアー] 小野美由紀(作家)

 子持ちの女性幹部と「警察官らしくない」レズビアンの部下が猟奇事件に挑む、まったく新しい「女」の警察小説『新宿特別区警察署 Lの捜査官』(吉川英梨/角川書店)。
 ままならない性と生に翻弄されながら「生まれ直し」のために奮闘する女性たちを描いた作品集『ピュア』が話題の小説家・小野美由紀さんに書評をお寄せいただきました。

 ***

カオスな街・新宿で女性捜査官2人が大暴れ

 新宿という街はワンダーランドだ。
 大通りには高級ブランドショップが立ち並び、都庁などのランドマークが聳え立つ一方で、一本裏道に入れば怪しげな魑魅魍魎のひしめき合う繁華街。若者の流行発信地の渋谷とは街の構成要素が似ていても、新宿の方はどこかジメッとした、エロスとタナトス、性と生と死の匂いが漂う。後ろ暗い秘密や欲望、嘘と裏切りがそこここに散らばる人間臭い街。その匂いこそが多くの人を惹きつけて離さない。
 新宿は富久町に生まれ、新宿2丁目の町内会の夏祭りで毎年神輿を担いで育った私にとっても、新宿はいついかなる時でも受け入れてくれる母胎であり、つい用もないのに街の顔を見に行きたくなる “腐れ縁” である。
 その新宿、とりわけ日本屈指のゲイタウンである新宿2丁目を舞台にした本作も、新宿が醸し出すのと同じ「人間臭い混沌」がページの隙間にぎっしりと詰まった懐の深い小説だ。

 主人公の琴音は、新宿の歓楽街、すなわち歌舞伎町と新宿2丁目・3丁目を管轄する「新宿特別区警察署」通称“L署”の女性警部である。夫より先に昇進したキャリア女性だが、謝りグセが抜けず、どこか冴えない。そのバディとなるのは年下の部下である六花。警察官にしては型破りな性格で、洞察力に富み、鋭い嗅覚を持って真相にグイグイと迫る。レズビアンであることをカミングアウトしており、高校生の頃から出入りしていた新宿2丁目で顔が効く。その二人が挑むのは、歌舞伎町と新宿2丁目で起きた2つの猟奇殺人事件だ。2つとも、犯人の動機が見えない。いや、片方は正体すらも見えない。
 自由奔放、型破りな発想で事件の真相に迫る六花と、子育てや夫の家族との付き合い、自分より社内のポジションが下になってしまった夫とのすれ違い、ホモソーシャルで女性差別的な同僚からのやっかみなどに振り回され、なかなか真相にたどり着けない琴音は対照的である。両者のキャラクターの違いこそがこの物語の魅力の一つだ。
 六花は性的マイノリティであることを仕事の武器として使用しつつも、その事自体に囚われる事なく我が道をゆく。一方、琴音の方は一般的に言えば社会の勝ち組であり、ヘテロセクシャルで差別とは無縁に育ってきた人間でありながらも、実は母であり、妻であり、警部であり、という「立ち場」にがんじがらめにされて身動きが取れずにいる。
 その2人が、相手の立場を理解できないがゆえに反発しつつも関係を深めるに従って、琴音自身と犯人の意外な共通点、具体的には、両者が囚われている“ある人物との関係”が徐々にあぶり出されてゆく。

マイノリティの現状にも光を当てる、奥行きある警察小説

 新宿2丁目を駆け回り、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーなど性的マイノリティの登場人物たちと関わる中で、現代社会がいまだに抱えている偏見・性差別や、彼らを取り巻く社会制度が現実に即しておらず、そこから抜け落ちてしまった人間たちの生きづらさなどが見えてくる。現在もっとも旬なテーマが随所に詰め込まれていて、私たち読者自身が、己の中に存在する偏見や思想について、いやでも振り返らざるを得ない。
 とは言え今日のSNSで頻繁に目にする炎上事件のように、差別をする側に徹底的に厳しく、勧善懲悪の物語なのかと思いきや、悪の方にも最後まできちんと「悪が悪である理由」を叫ぶチャンスを与えてあげる。最後まで作者は正義の鉄槌を振り下ろさない。その優しい眼差し(悪く言えば多少「いい子ちゃん」的ではあるが、差別を書く以上、今の世の中ではこのあたりまでが限界な気もする)は、矛盾を多く抱え、子供じみ、割り切った行動が取れない人間の人間臭さや情けなさを許している。
 一見、テーマが盛りだくさんで、目の置きどころが散らばってしまいそうになるものの、読み終えると、この小説全体を刺しつらぬくテーマは実は1つなのではないかと思う。

“愛”は”支配”か?

 琴音は犯人が辿った経緯を追い続けるうち、やがて自分自身が囚われているものに目を向けざるを得なくなる。
 すなわち、己の中にある愛、己に注がれて来た愛の重さに、である。
 愛は常に支配の要素を含み、当事者同士の関係が何かの拍子に揺らいだ時、容易にその色を濃く発揮する。親子愛のように、普遍的に善なるものとして描かれるものですら、その要素を多分に含む。男女の愛、夫婦の愛、友愛すらも。
 愛が支配に簡単に反転する事、また反転した時の人間の醜さを知っているからこそ、皆、それを恐れ、ドラマや小説は愛を過剰に美しく描くのではないだろうか。
 本小説は、親子、夫婦、恋人関係、上司と部下など、様々な人間関係の形を通し、そのことを丁寧に炙り出してゆく。支配に反転するにも関わらず、私たちは「愛」がなければ生きていけない。その「愛」の形を硬直化させてまで、担保するための強制力として「制度」が存在する。しかし、「制度」に囚われてしまうと苦しい。「制度」から抜け漏れてしまっても苦しい。「制度」の形を借りた、都合の良い「愛」の名の下に潰されるのはもっと苦しい。登場人物たちが「愛」に縛られ、悩み苦しむ様を見るにつけ、そう思わざるを得ない。
 本作は「愛」というものの持つ矛盾を鋭く突き、その下でもがき苦しむ人々の姿を描くことで、私たちの社会がこれまで「制度」や「伝統」の名の下に、押しつぶしてきたものの姿を、刑事小説の形を借りて鮮やかに描き出す。
 人は矛盾するし、破綻している。愛していながら憎んだり、支配してしまったり、厳しい言葉をかけたり、傷つけたりする。その矛盾だらけの人間関係を、聖なるもの、邪なるものの混在する新宿という街は優しく内包する。ストーリーを駆動する装置としてだけでなく、テーマから考えても新宿以外の舞台が思いつかない。この街で起きた物語である事が必然に感じられる内容だ。作中、新宿をよく訪れる者なら知っている有名な商業施設や店の名が数多く登場するのも楽しい。六花がホモソーシャルで頭の硬い旧来的な価値観に囚われている男どもをバシバシと蹴散らしてゆく様は痛快だし、自分より先に昇進した妻を素直に応援できず、周りの男たちからもまたプレッシャーをかけられる夫の「あるある」も随所に散りばめられ、深刻なテーマと、登場人物たちが繰り広げる丁々発止のからりとしたやり取りの緩急が素晴らしい。
 主人公の琴音は最後まで、自らを縛るものに囚われたままなのだろうか。それともそこから六花とともに抜け出すのだろうか。
 結末はあなたの目で見届けてほしい。

アップルシード・エージェンシー
2020年12月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

アップルシード・エージェンシー

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