新型コロナ、原発事故……デマが飛び交う時代に必要な「科学的思考」を身につけよ

対談・鼎談

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原発事故10年、コロナ禍に語る「ビジネスと教育と科学的思考」

[文] 新潮社


早野龍五氏と新井紀子氏

早野龍五×新井紀子・対談「原発事故10年、コロナ禍に語る『ビジネスと教育と科学的思考』」

人間は未知の問題に直面すると、不確かな情報に踊らされる。特にSNSの発達によって、根拠のないデマが拡散され、取り返しのつかない分断を社会にもたらすことは、このコロナ禍でも多くの人が実感するところだろう。

思い返せば、そうした「ネット上のデマや陰謀論による分断」が最初に目に見える形で現れたのが、2011年の福島第一原発事故だった。目に見えない「放射能」について、さまざまな非科学的なデマや陰謀論が飛び交い、事故から10年経った現在でもネット検索をすると、正しくアップデートされていない情報が数多くヒットしては人々を惑わせている。

事故当時、国や自治体、東京電力から発表されるデータを分析してツイッターに公開し続け、福島県内の放射線調査に大きな役割を果たした物理学者・早野龍五氏が、2月25日に『「科学的」は武器になる 世界を生き抜くための思考法』(新潮社)を出版した。本書の中で早野氏は、情報の真偽を見分けるための「科学的思考」を身につけることが、今後ますます重要だと説く。

「科学的思考」とは何か? 『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』などの著作を持ち、これからの時代は「読解力」がもっとも重要だと語る数学者の新井紀子氏との対談から、この問題について考えたい。

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「自ら学ぶ思考力」が必要なわけ

新井 お久しぶりです!

早野 ご無沙汰しております!

新井 早野先生とお話しするといつもお互い大好きな歌舞伎の話になっちゃうので、気をつけなくちゃ(笑)。

早野 (笑)。

新井 先生の新刊のテーマである「科学的に考えること」について、最近あらためて思っているのは、「小学校から高校までの理科教育は、大きな変化に対応しなければいけない」ということです。AI(人工知能)の進化は、これまでの機械が人間の肉体労働を代替してきたのと違って、頭脳労働のあり方にも影響を与えます。今はあっても、これから無くなる仕事も増えていく。市場から淘汰されないためには、社会に出てからも自分で最新の科学を学び続けないと、変化に適応できなくなる時代がやってきました。

この本は、早野先生がご自分の人生を振り返りながら、これから必要な「自ら学ぶ力」、その基礎となる「科学的思考力」を身につける大切さを教えてくれる一冊だと思います。

早野 ありがとうございます。僕はプロの物理学者としても、一人のオタクとしても、かなり早い時期からコンピューターを使ってきましたが、ご指摘の通りAIの進化はかなりのスピードです。

新井 近代的な合理主義哲学の祖とされるルネ・デカルトが活躍した時代は、ちょうど日本で言えば関ヶ原の合戦、江戸時代の始まりと重なります。そこから約四百年、近代科学は進歩を続けてきましたが、二十世紀後半以降、進歩の速度は確実に上がっています。

文系と理系を早い段階で分けるという日本的な教育は、要するに「科学や数学が苦手なら知らなくてもいい」という考え方なんですね。でもこれが効率的だったのは、ホワイトカラーや頭脳労働者の働き方にテクノロジーの進歩が影響しないという、ここ五十年ほどの極めて特殊な時代だけのことだった。これからはそうはいきません。

早野 僕はかつて中学校の理科や高校物理の教科書作成に携わっていましたが、今の日本の教科書は基本的に学ぶ範囲が決まっているので、なかなか新しい知見を載せるのが難しい。高校物理で学べるのは十九世紀までの内容です。物理や数学は積み上げが大事なので、前世紀までに作り上げられた土台も学ぶ必要があります。

問題はその先です。大事になってくるのが、ご指摘の「自分で学ぶ力」。知人の科学者は、「今の学生は『そもそも』を知ろうとしない」と嘆いていました。問題の「答え」を知ろうとはするけれど、なぜその答えになるのか、その過程でどう考えるのかという根本を知ろうとしない。これは、科学的な態度とは真反対のものです。

今からちょうど十年前の福島第一原発事故時、そして今回の新型コロナ禍でも、SNSを開けば陰謀論が飛び交い、科学者や専門家を自称する人々も含めて、安易で、ある意味で単純な「答え」を出す人が大量にいます。そして、それに飛びつく人もたくさんいる。その様子を見ると、大人になっても考え方の癖を直すことは相当大変なのだろうと思いますね。

新井 “科学とは何か”という問いに対して、私は「最後に数式にできること、数学を使うこと」だと答えてきました。例えば、私は文学が大好きですが、文学は科学ではありません。数式にできないからです。人間の世界には当然ながら、数式では表すことができない領域もあります。そこを探求するのが人文学の世界で、科学にはない価値もある。

日常にもビジネスにも科学的思考を

早野 その定義はよく分かります。物理学における発見とは「その現象を数式にすることができたこと」だと言い換えられます。文学と言えば、新井先生は以前、けっこうな批判にさらされたことがありましたね。

新井 高校の国語で扱う作品に『山月記』『こころ』『舞姫』が多いのは問題ではないかと書いて、批判された話ですね。あれも私からすれば、文学を批判したのではなく、簡単とはいえ科学の手法を使って分析した結果を示しただけのことです。

私がやったのは、高校国語の教科書にどの作品が多く採用されているかを表にまとめることでした。つまり、数に還元し、データ化したわけです。数式にするというと難しく聞こえますが、表にするというのも科学の手法です。

そこで、先にあげた三作品が多いという結果になったので、私は「この三作品はどれもエリート文系男性の挫折の物語であり、教科書の作品選定がジェンダーバイアスの固定化につながっているのではないか」と考察しました。実際にデータ上、女性の書き手の作品は詩やエッセイが取り上げられることがほとんどですから。

早野 僕は福島第一原発事故の発生直後から、放射線量や被ばくに関するデータをグラフにしてツイッターで公開し続けたのですが、そのことで一部の人の怒りを買ったという経験があります。表やグラフにすることは、科学の世界では基本的な方法なのですが、データにすると「自分の思う通りのことを言ってくれない」と怒る人が一定数いるんです。

そこで僕がこの本で強調したのは、科学的な思考は実はみなさんの身近なところ、例えばビジネスの世界にもあるということでした。確かに数式にできることは大事ですが、それ以前に「質の良いエビデンスとそうでないものを見分けること」や「論理的にきちんと説明できているか見分けること」というのは、多くの人が日常的にやっている仕事の延長上にありますよね。

エビデンスをベースに考え、間違っていると気づいたら修正する力を養うこと。「そもそも」に立ち返り、まったく違うと思えば最初の仮説を大胆に捨て、また一から考え直せばいい。これも科学的な思考だと思うのです。

新潮社 波
2021年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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