『鳴かずのカッコウ』
書籍情報:openBD
ヒト、モノ、カネなし?! 異色のインテリジェンス小説
[レビュアー] 九段太郎(公安調査庁調査官)
最小で最弱の情報機関――。
私が所属する公安調査庁は、しばしばそう揶揄される。“官邸ポリス”で話題になった「内閣情報調査室」や、全国の公安警察を統括する「警察庁警備局」などと並び、日本のインテリジェンスの一角をなす情報機関だが、1952年に法務省の外局として誕生以来、スポットライトを浴びることはあまりなかった。
本書は、そんな日の当たらない公安調査庁の調査官を主人公にした小説だ。『ウルトラ・ダラー』などインテリジェンス小説の金字塔を世に送り出してきた著者でも、地味な“公調”が題材ではどうにもなるまい。全国に約1600人いる調査官の多くが、そう自嘲しながら本書を手に取ったに違いない。しかし、その諦観は見事に打ち砕かれる。
主人公の梶壮太は入庁6年目。神戸の公安調査事務所で国際テロ対策、通称「国テ」を担当している。安定重視で就職活動を公務員に絞り、期せずしてインテリジェンスの世界に迷い込むことになった若き調査官だ。
ある日、霞が関の本庁から送られてきた“中国による日本の不動産買収について”という調査要請。ここから物語は動き始めるのだが、私はのっけから著者の情報収集能力に驚かされた。この要請は「情報関心」と呼ばれ、全国の調査官に発出されるのだが、“中国による不動産買収”は、現実の我々にも下されている「情報関心」なのだ。
共感を覚えた箇所は他にもある。とりわけ印象深かったのは“三無官庁”という言葉である。公調はヒト、モノ、カネの三つが欠けている―調査官たちは時にそう自虐する。我々は、捜査権と逮捕権を持つ公安警察や、潤沢な予算と装備を保有する自衛隊の情報部隊に羨望の眼差しを向けながら、「ヒューミント(人的情報)」や「オシント(公開情報)」を駆使して、日々、情報を集めているのである。
情報収集のため、本書のように身分を偽装して民間団体の会員になったり、商店の店員に扮して働いたりする調査官も実際にいる。隠語が大好きな調査官たちはこれを「マル偽」とか「カバー」と呼ぶ。公務員なので賃金は受け取れないが、信頼関係を築いた協力者に頼み込み、合法的にかつ低予算で別人格を作り上げるのだ。外でもない私も、いくつか別の顔を持っている。
偽装で重要なのは、その業界の“常識”を調べ上げ、怪しまれない人格を確立することだ。徹底した取材で、「梶壮太」という限りなくリアルな調査官を作り上げた著者の「カバー」には、脱帽するばかりである。