<書評>『唱歌「蛍の光」と帝国日本』大日方(おびなた)純夫 著
[レビュアー] 川崎賢子
◆領土拡張で歌詞書き換え
ヴィヴィアン・リーとロバート・テイラーという美男美女の鉄板メロドラマ映画『哀愁』のクライマックスは、一本ずつ消されていくキャンドル、やがて仄(ほの)暗い闇に包まれたラストワルツだ。が、そこで楽団が奏でるのは、「蛍の光」なものだから、どこかしら気恥ずかしい。正確にいえば、「蛍の光」は四拍子で、『哀愁』のクラブに流れるのは三拍子にアレンジされた「別れのワルツ」。原曲は、スコットランド民謡「オールド・ラング・サイン」である。
「オールド・ラング・サイン」は、蛍の光、窓の雪、書(ふみ)読む月日重ねつつ、という訳詞とともに、卒業式ソングの定番の一つとなって、わたしたちの身体に刻みつけられている。しかしながらその旋律は、一方で二十世紀の戦時のメロドラマにふさわしい「別れのワルツ」にアレンジされていただけではない。かつて日本が「国民国家」として、ついで「帝国」として東アジアへ版図を拡大した明治・大正・昭和前期には、今となっては幻の日本植民地の境界とその彼方(かなた)への欲望を読み込んだ、三番・四番の歌詞があった。
「筑紫(つくし)のきわみ陸(みち)の奥」で始まる三番は、九州から東北までをおさえていた。「千島の奥も沖縄も」で始まった四番は、やがて「台湾の果ても樺太も」と書き換えられ、「帝国」日本の領土拡張の野心を反映した。戦時下の内地では、「オールド・ラング・サイン」は米英の、すなわち敵性音楽だとして、追放の憂き目にあったこともある。
「帝国」の支配下に置かれた朝鮮、台湾にも、「オールド・ラング・サイン」の旋律は広がり、時に唱歌としてしたしまれ、時に卒業式の儀式歌となり、また時には「帝国」の植民地支配に抗する愛国歌として、うたいつがれた。
「蛍の光」の変容と越境を通じて、国家や教育のあり方、基地を抱える沖縄や、ロシアと接する「北方領土」など、多様な“今”を考えるという刺激的な試みである。
(吉川弘文館・1980円)
1950年生まれ。早稲田大名誉教授。著書『世界の中の近代日本と東アジア』など。
◆もう1冊
戸ノ下達也著『音楽を動員せよ 統制と娯楽の十五年戦争』(青弓社)