多摩川河口の不審死体 気迫で綴る書下し警察小説

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川崎警察 下流域

『川崎警察 下流域』

著者
香納諒一 [著]
出版社
徳間書店
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784198655921
発売日
2023/01/28
価格
2,200円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

多摩川河口の不審死体 気迫で綴る書下し警察小説

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

 この物語には、冒頭、次のようなことわり書きがある――「人がひしめき合っていた。海も川も汚水臭く、空はあたりまえの青さや高さが感じられず、たとえ快晴でもスモッグでどんよりと濁っていた。人間同士の距離が近く、それ故にこそ、残忍さも優しさも激しかった。感情が濃く、男も女も人間臭かった。これは、そんな時代の物語である」と。

 つまり、この一巻で扱われているのは高度経済成長の光と影が生み出した事件なのである。

 多摩川河口で死体として見つかった元漁師の矢代太一。ヘドロの中から引き上げられ、はじめ事件と事故の双方から捜査されるが、やがて殺人と断定される。事件の背後には、京浜工業地帯の発展の裏で居場所を奪われた、漁師たちの漁業権問題が複雑に絡みあっていた。被害者は、何故、自宅以外の鍵を持ち、そこに若い娘と赤ん坊を住まわせていたのか。

 車谷部長刑事を長とした面々の捜査により明らかになる、五十万円がつなぐおぞましい事件の連鎖、《名無し》という一匹狼の殺し屋の跳梁。キャバレーをいくつも持つ川崎の夜の顔役早乙女。しゃしゃり出る県警本部の二課と一歩も引かぬ車谷。さらに川で暮らすホームレスや在日が関わり、複雑な様相を呈してくる。

 事件は、政治権力も絡み、一見小綺麗に見える発展の恥部を晒しはじめ、車谷にも、生涯消える事のない傷跡を残す事になる。在日の問題にしても、それは太平洋戦争末期にまでさかのぼって語られる。そして、矢代太一を殺した意外な犯人が判明するまで、本書は綿密な文体で捜査の様子を綴っていく。

 この一巻は一言で言えば気迫のそれである。日本がうわべの発展を遂げる中でどれだけの美しい物が失なわれていったか。作者は怒りを込めてそれを剔(てっ)抉(けつ)する。

 はやくも本年度警察小説の良心とも言うべき傑作が誕生した。

新潮社 週刊新潮
2023年3月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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