『医学と儒学 近世東アジアの医の交流』向静静著(人文書院)

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医学と儒学

『医学と儒学』

著者
向 静静 [著]
出版社
人文書院
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784409041246
発売日
2023/05/31
価格
5,720円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『医学と儒学 近世東アジアの医の交流』向静静著(人文書院)

[レビュアー] 橋本五郎(読売新聞特別編集委員)

「医」のあり方 古今問わず

 医の世界に疎い私には驚きだった。現在医療保険が適用されている漢方製剤148処方のうち70処方が中国後漢時代の張仲景(ちょうちゅうけい)(150~219年)の『傷寒論(しょうかんろん)』『金匱要略(きんきようりゃく)』に由来するものであり、漢方メーカー・ツムラは葛根湯はじめ多くの製品を両書によって配合しているという。日進月歩の世界で名著は1800年の時空を超えて生きているのである。

 しかし、両書が日本で重要視されたのは近世日本の医学「復古」運動以後のことだった。その思想的根拠を伊藤仁斎や荻生徂徠などの儒学に求め、儒者と医家の人的ネットワークの中で展開されたのだった。本書は膨大な史料を徹底して読み込み、見事なまでに「復古」の今日的意味を解明している。

 後藤艮山(こんざん)、香川修庵、山脇東洋、吉益東洞ら運動を主導した彼らはなぜ『傷寒論』を復活させようとしたのか。医書の古典だから崇(あが)めたわけではない。ひとえに目の前の病を治すため有効だと判断したからだ。その根拠となったのが仁斎が提唱した「人倫日用」であり、実用を重んじたからにほかならない。

 それゆえ彼らは決して『傷寒論』を金科玉条として奉ることをしなかった。4人には「自我作古」(我より古を作る、修庵)と「述而不作」(述べて作らず、東洋)など対応に違いはあっても病の治療と予防こそが大事という点では共通していた。彼らにとって「復古」とは現実問題を解決するための手段だった。

 近世日本で麻疹の大流行は14回、痘瘡(とうそう)(疱瘡(ほうそう)・天然痘)も15回に及んだ。これらにどう立ち向かうか。東洞は「難治二字、妄也(みだりなり)」「尽人事而待天命」と言う。死に至る病で治療が難しいから手を出さないというのは医師ではない。人事を尽くして治療するのが大切なのだ。

 目の前の病に医師たちはどう治療しようとしたのか。著者は丹念に再現、検証している。そこから浮かび上がるのは、人の命をかけがえないものとして、ひたすら病に立ち向かう医師の姿だ。それは古今東西を問わず、「医」の根本理念であることを教えてくれるのである。

読売新聞
2023年9月1日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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