あなたとは笑ってお別れ出来ます

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半日の放浪―高井有一自選短篇集

『半日の放浪―高井有一自選短篇集』

著者
高井有一 [著]
出版社
講談社
ISBN
9784061983380
発売日
2003/07/01
価格
1,320円(税込)

あなたとは笑ってお別れ出来ます

[レビュアー] 川本三郎(評論家)

 書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「定年」です

 ***

「私」は四年前に長年勤めた会社を定年退職した。その後、新しい職には就いていない。

 だから暇はある。一週間か十日に一度の割で銀座に出る。荒川沿いの堀切にある自宅から電車を乗り継いで四十分ほど。暇のある身には遠い距離ではない。

 高井有一の「半日の放浪」はそんな、定年退職した「私」が二月の一日、銀座を歩く。昭和六十年の作。

「私」の堀切の家は戦後間もない頃に建てたから老朽化している。思い切って鉄筋コンクリートの家に建て直し、息子の家族と住む。

 取壊しは明後日から。その日は住み慣れた家の最後の日になる。

「私」は銀座を歩きながら四年前、定年退職した日のことを思い出す。

 会社の規定で定年退職は満六十歳の誕生日と決まっている。「私」の場合は八月三日。

 最後の日の退社時間は午前十一時。玄関ホールまで見送ってくれた総務部長はいう。「あなたとは笑ってお別れ出来ます」。出向もさせられなかったし最後まで管理職で通したから。

 そのあと「私」は一人で銀座を歩いた。妻は一緒に外で食事をしようと申し出たが断わった。一人になりたかったのだろう。

 しかし、結局、映画を観たぐらいで家に帰った。四年後のこの日も、無為に銀座界隈を歩く。

 四年前ともう町の様子は変っている。住み慣れた家も取壊される。自分の時代は終ったと知る初老の「私」の寂寥感が胸に迫る。

新潮社 週刊新潮
2023年11月30日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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