『煩悩』
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呼ばれない関係性
[レビュアー] 平岡直子(歌人)
第167回芥川賞候補にもなった注目の作家・山下紘加による最新作『煩悩』が刊行。本作の魅力を歌人の平岡直子さんが語る。
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百合やシスターフッドと呼ばれる関係性が好きだ。女性同士が連帯し、無敵に世界をみおろす話が好きだ。女性同士が恋愛をする話が好きだし、また、恋愛をしない話も好きだ。そんなわたしの目に、この小説の〈安奈に触れるとき、私はいつも無意識のうちに利き手ではない方の手を伸ばしている。〉という書き出しはセクシャルなものに映った。
最初の段落から刺激、感度、行為、感情、といった単語がちりばめられ、その後、脱毛というこれもまたプライベートゾーンの話題に移行する。シーツに付いた経血を洗う描写からはじまる『ナチュラル・ウーマン』などを連想して、わたしのための物語がはじまる、とわくわくしながらページをめくった。そして、この話は、そういった期待とは違う方向へ曲がりつづけ、にもかかわらずわたしは目を離すことも失望することもできなかった。
『煩悩』は二人の女性、涼子と安奈の支配と依存の物語である。中学生時代に出会い、成人してからも親密な距離感を保ちつづける彼女たちの関係が、やがてゆっくりと壊れていくまでが描かれる。支配的で安奈への執着が強い涼子と、社会に適合できず、依存体質の安奈。不思議なことにこの二人の関係性は名づけられない。語り手である涼子は最後まで定義することができないのだ。
話は性的な展開の予感に満ちていて、涼子はあきらかに安奈に対して欲望を抱いているのに、どうしてこの話は恋愛にたどりつかないんだろう?
涼子の家庭環境が垣間見えるくだりがある。奇妙に頼りない母と、精神疾患の姉、どちらもが涼子に寄りかかろうとするという不安定なものだ。ここで読者はこの小説のかくれたテーマが「家族」であることに気づかされる。涼子と安奈の関係は、友人や恋人というより母娘の関係に酷似しているのだった。
作中で印象的に二度くりかえされる〈安奈の/あの子の短い腕は、私の背中にまわりきらない〉というフレーズは、涼子にとって安奈がいわば「赤ちゃん」であることを物語っているし、安奈の人間関係に介入しつづける涼子が最も熱心な対抗意識を燃やしていた相手は安奈の母でもあった。冒頭でかたられる脱毛は第二次性徴からの遡行を象徴するようにも思われる。
友情のなかに隠された支配関係や、実情が母娘に酷似した友人関係を描くことが新鮮だとは思わない。この小説のスリリングな点は、ある関係が一貫してべつの関係のふりをしつづけようとするところだと思う。涼子と安奈の関係を、すくなくとも涼子は誤解しているし、小説自身も、また、読み手のわたしも誤解しているかもしれない。
現実の人間関係においても、関係性の名称と本質はかならずしも噛みあわない。個人間ではすぐにずれてよくわからなくなってしまう関係性の定義に一定の秩序をあたえるのもフィクションの役割なのだとしたら、小説とは関係性のプロパガンダという側面を持つのではなかったか。そこを攪乱してくるとは、なんて向こうみずで、なんておもしろい小説なんだろう。