巨額の借金を抱えた「薩摩藩」が手を出していた“密貿易” 幕末の「富山売薬薩摩組」を描く

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幕末、破綻寸前の薩摩藩。政治と金に翻弄される「薬種戦争」を描く感動の書

[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)

『富山売薬薩摩組』というタイトルから、この一巻が、風雲急を告げる幕末を舞台とした江戸と富山の薬売りを巻き込んだ、かなり剣呑な薬種戦争が題材と知れるだろう。

 これまで、この薬種戦争については大佛次郎ら何人かの作家が書いてきたが、決定版と言えるものはまだ無かった。

 植松三十里は、これまでにも様々な歴史作品を執筆してきたが、本書は新たな代表作と言うに相応しいだろう。

 俗に“越中富山の薬売り”と言われるように、彼らは“何々組”と商い先の地名を冠して日本全国に薬を売り歩き、その地の病人を助けていた。人のためになる喜びは、どんな旅の苦労にも勝ると、そこにやりがいを見出している。行き先が遠いだけに、薩摩組は富山にいられる時期が特に短く、やりがいが無ければ、やっていられない。

 かつて薩摩組は密貿易の薬種を買い、揉み消しに大金がかかった。その反省から、抜け荷売買に手を貸せと誘われた時には断っていた。それは英断だった。

 なのに今度は、薩摩藩主・島津侯の寵臣・調所広郷から船で抜け荷自体を運ぶように持ち掛けられた。薩摩組内で相談し、この密約を受け入れる。この調所の行動は、政治と金にまつわるものだった。

 当時、巨額の借財を抱えていた薩摩藩は、調所による苛烈極まりない財政改革で持ち直し、後の倒幕の一翼を担うに至った。明治維新の実現は、薩摩藩の軍事力に負うところが大きいが、幕末期、薩摩藩が新型の蒸気船や鉄砲を大量に保有した事が、この財政逼迫の所以であった。

 大きな政治のうねりの中で、人は産まれ、そして死んでいく。その人生の中で、人は何度薬に助けられた事だろう。「こうして松太郎も生きていく。重い荷を背負って人を助け、自分も助けられながら」。

 胸に迫るものがある作品だ。

新潮社 週刊新潮
2024年2月15日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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