『異素六帖 古今俄選 粋宇瑠璃 田舎芝居』
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みだれそめにしわれならなくに
[レビュアー] 北村薫(作家)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「色街」です
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空山 人を見ず
但だ人語の響くを聞く
返景 深林に入りて
復た青苔の上を照らす
教科書に載ることの多い王維の漢詩「鹿柴」です。この起・承句に百人一首の「あまりてなどか人のこひしき」を配しても、別に面白くない。しかしそこに「俄に客のへつた女郎」と題がつき、吉原のこととなると、あっと言ってしまう。
我々には落語でおなじみの吉原。そこで遊ぶには、粋でなければいけない。野暮が最も嫌われる。
明治以降、横文字をありがたがった日本人の、それまでの教養の基礎は中国の古典でした。欧米の知識人がラテン語を学んだように。その漢詩と和歌を並べ、かけはなれた世界である遊里と結び付ける。このはなれわざを行ったのが、江戸の洒落本『異素六帖』(沢田東江著)です。「葡萄の美酒 夜光の杯」と始まる王翰の「涼州詞」の転句が「酔うて沙場に臥す 君笑うことなかれ」。それに「みだれそめにしわれならなくに」を配し、「酔つぶれた客」と題するのです。
漢詩まで紹介するには字数が足りない。やむなく分かりやすい百人一首だけ引くと「心中をした女郎」が「名こそながれてなをきこえけれ」。「心中をいやがる女郎」が「人のいのちの惜しくも有かな」。
こんな調子です。よく引かれるところは、あえて出さないでおきましょう。時には、こういう江戸人の遊び心を覗いてみるのも、よいのではないでしょうか。