『歴史としての二十世紀』
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『歴史としての二十世紀』高坂正堯著
[レビュアー] 鵜飼哲夫(読売新聞編集委員)
混迷の今響く34年前の声
「ユダヤ人は偉大な民族ですが、国をつくると狂信的でありすぎるのかもしれません。現在イスラエルが中東でやっていることを見ると、気が気ではありません」
これは、いつの発言だと思うだろうか。34年前の1990年である。では、次はどうだろう。「ロシアに大国をやめろと強制することはできない」
これもまた冷戦終結期の90年に全6回で行われた講演での発言である。声の主は国際政治学者の高坂正堯(1934~96年)だ。ハマスによるイスラエルへの奇襲攻撃を発端とする戦闘に終息の気配は見えず、報復攻撃による死者は3万人を超えている。2年前に始まったロシアによるウクライナ侵略も終わりが見えない。音声が残っていた講演を「戦争の世紀再び、と思える今、活字に」との思いで出版された本書の言葉は、古びるどころか、むしろリアルに私たちに迫る。
本書が出た昨年、20万部突破のロングセラー『文明が衰亡するとき』など新潮選書の既刊4冊が増刷された。高坂の史観はなぜ、かくも今に響くのか。それは時代や国が違うと常識が異なるという歴史に学んだ視点と、人間はそれほど賢明ではなく、「将来の予想は推測でしかありません」という地に足のついた人間観があったからだろう。
だからこそ本講演でも、当初は高尚な理想から始まった米国の禁酒法が、ギャングの資金を増やすだけに終わったことを例にあげながら、「世の中で、自分の価値観を他人に押し付ける『道徳先生』ほど怖いものはありません」と指摘している。
道徳先生の怖さは、自らの正義感に取り憑(つ)かれ、妥協しないことにもある。これについて高坂は、「譲歩してもやりたいことを半分実現すれば、完全に失敗するよりいい」とも語っている。
指導者たちが声高に正義を叫び、争う今日において、いかなる外交的努力が必要なのか。当然ながら本講演では何も語られていないが、理想と現実にどう折り合いをつけるのか、そのヒントを詰めこんだ本書は、過去からの贈り物である。(新潮選書、1760円)