自動車整備工場で働く青年が殺人容疑で逮捕されるが…「冤罪」を生む裁判、警察、検察、マスコミ、社会すべてへの復讐劇

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兎は薄氷に駆ける

『兎は薄氷に駆ける』

著者
貴志祐介 [著]
出版社
毎日新聞出版
ISBN
9784620108711
発売日
2024/03/04
価格
2,420円(税込)

警察や司法権力を出し抜く恐るべき計画とは

[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)


父の冤罪で人生が暗転した青年の恐るべき計画

 貴志祐介の最新長編は、毎日新聞夕刊の連載をまとめた大作。「これぞ現代日本の“リアルホラー”」のキャッチコピーが帯に躍るが、いわゆるホラー小説の要素は皆無。ジャンル的には、冤罪をテーマにした法廷サスペンスである。

 巻頭には、リチャード・アダムズ『ウォーターシップ・ダウンのウサギたち』の一節が引かれている。“千の敵を持つ王”(題名の、薄氷に駆ける兎)に喩えられるのは、自動車整備工場で働く青年・日高英之。叔父を殺害した容疑で逮捕された彼は、犯行を告白する供述証書に署名し、起訴される。だがそれは周到に準備された復讐劇の序曲だった……。

 英之の父は、今から15年前に殺人容疑で逮捕され、裁判で有罪となり、獄中死を遂げた。この冤罪事件によって英之の人生は暗転した。だが、父の無実を証明しようにも、再審のハードルはあまりに高い。

“千の敵”とは、この裁判制度であり、見込み捜査と威圧的な取り調べをくりかえす警察であり、安易に起訴する検察であり、容疑者を責め立てるマスコミであり、社会の偏見でもある。それらを出し抜くために狡猾なウサギ(=英之)が立てた恐るべき計画とは?

 もっとも、物語はこんなふうに進むわけではなく、英之の代理人である本郷弁護士(15年前には英之の父を弁護したこともある)から頼まれて調査の手伝いをすることになった謙介の視点から語られる。社員をリストラするのが仕事だったのに自分までリストラされてしまい、失業中だった謙介は、英之の恋人の千春や本郷弁護士とチームを組み、裁判に深く関わることになる。

 冤罪ものは正直もう読み飽きたし、本書の場合、手の内は最初からほとんど明かされている。にもかかわらず読み始めたら止まらなくなるのは、著者一流のストーリーテリングのおかげ。475ページを短距離ダッシュのように走りきる。

新潮社 週刊新潮
2024年4月4日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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