『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』片山杜秀著

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大楽必易

『大楽必易』

著者
片山 杜秀 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103397120
発売日
2024/01/31
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『大楽必易 わたくしの伊福部昭伝』片山杜秀著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

「ゴジラ」作曲者 創作の歩み

 「世界音楽史」という言葉が、この本にはちらりと出てくる。片山杜秀がここで語る伊福部昭の姿は、誰もが知る『ゴジラ』のテーマ曲の作曲者や、西洋近代に対抗する「民族主義」の作風で昭和の楽壇を揺るがした現代音楽家という、一般に流布した像には尽きない。日本という閉域を突き抜ける「世界音楽」の試み。その歩みを片山は、本人の生前に行っていた聴き取りの厖(ぼう)大(だい)な記録に基づいて明らかにする。

 伊福部家の先祖は、天(あま)照(てらす)大(おおみ)神(かみ)ではなく素(すさ)戔(のお)嗚(のみ)尊(こと)を祖とする古代豪族。生まれ育ったのが北海道で、亡命ロシア人の歌声や中国由来の笛の音楽、さらにアイヌの歌のリズムに身近にふれていた。そこから、日本のいわゆる本土の伝統ではなく、北方少数民族、スラブをへてユーラシア大陸に至る、広大な世界を自分の基盤としたのである。本人の言葉を借りれば「世界が無理なく開ける」境地。

 しかしその姿勢は、近代西洋の音楽のように、長調・短調の音階や和声の規則、固定したリズムといった、かっちりと整理された法則によって普遍性を手に入れるというものではない。伊福部は、そうした近代音楽の手法を「適当に」利用しながら、非西洋の音楽が伝える音階や変拍子のリズム、同じ音型の繰り返しといった特徴をとりいれ、そこに新たな生命を与えようと試みていた。

 それが、さまざまな伝統音楽の単なる寄せ集めに終わらなかったところがおもしろい。本の題名になっている「大(たい)楽(がく)必(ひつ)易(い)」は、儒学の古典『礼記』の楽記篇(へん)に見える音楽論に由来する語句で、『老子』の「無為」とともに、伊福部が愛(あい)誦(しょう)した言葉。無心になって、自分の足元にまっすぐ錘(おもり)を降ろしていけば、そこに「易(やさ)」しい、すなわちすんなりと身に即したリズムとメロディが生まれてくる。そういう具合に、自身の音楽の創作方法と結びつけていたのだろう。

 諸民族の音楽をさまざまに交差させた果てにたどり着いた、素朴にして底の深い境地。そこから生まれた作品を豊かに味わうための、最良の案内書である。(新潮社 2970円)

読売新聞
2024年3月29日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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