母親の墓参りのための一泊旅行で、現地の男と一夜限りの関係を…認知症になったノーベル賞作家ガルシア=マルケスの遺作について小池真理子が綴る

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出会いはいつも八月

『出会いはいつも八月』

著者
ガブリエル・ガルシア=マルケス [著]/旦 敬介 [訳]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784105090210
発売日
2024/03/27
価格
2,420円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

グラジオラスの花束と共に

[レビュアー] 小池真理子(作家)


小池真理子さん

『百年の孤独』『コレラの時代の愛』などで知られる、ノーベル賞作家ガルシア=マルケスの”遺作”『出会いはいつも八月』が新潮社から刊行された。

 認知症をわずらい、執筆が覚束ないなか、書き紡がれた「性」の世界は、どのようなものか?

『恋』、『神よ憐れみたまえ』などの長篇小説で「生と性の世界」を描いてきた作家の小池真理子さんが、魅惑あふれる「遺作」を読み解く。

小池真理子・評「グラジオラスの花束と共に」

 私のガルシア=マルケス初体験は遅い。初めて読んだのは、八十七歳で没した彼の、いわば最後の作品となった『わが悲しき娼婦たちの思い出』である。2006年、新潮社で日本語訳が刊行された直後、なぜか読みたくてたまらなくなり、書店に走って買い求めた。電車の中で読み始めたのだが、やめられなくなって困った。

 言わずと知れたラテンアメリカを代表するノーベル文学賞作家である。それまで、ラテンアメリカに関する私の知識はあまりにも貧困すぎた。暑さも熱気も、嵐の凄まじさや獰猛な動植物たち、さらに言えば、昂ぶっても絶望しても、嘆いてもはしゃいでも、いつだって命のほむらが燃え立っているとしか思えない、その国民性に至るまで、アジアのおとなしい小さな島国から見れば圧倒されることばかり。若いころから親しみ、なじんできた欧米の小説や物語とは、何もかもが異なっているとしか思えない。ただそれだけの理由で、長い間、ガルシア=マルケスという作家を敬遠していたことを深く羞じたのもその時だった。

 以後、彼の代表作『百年の孤独』(身近な友人知人に、面白い物語を読ませたい、という理由だけで書いたという長編。世間の小難しい文学批評など吹き飛ばしてしまうほどのスケールで描かれた、勇壮で芳醇な人間ドラマ)、『コレラの時代の愛』(奇妙なタイトルだが、五十年以上にわたる長い歳月、たった一人の女性に恋い焦がれ、待ち続けた男の物語)などの長編のほか、傑作中編として名高い『大佐に手紙は来ない』、若いころに書かれた幻想的な短編『青い犬の目』等々を読むようになった。読めば読むほど、この作家に惹かれていった。

 彼の小説は長編短編を問わず、おしなべて桁外れに面白い。そうとしか言いようがない。語りにつられて読み進めていくうちに、ページをめくる手が止まらなくなる。映像が浮かび上がる。音が聞こえてくる。においが漂う。頭の中のスクリーンで、毎度、ガルシア=マルケス原作の映画が勝手に上映されるのである。

 人生の闇をどれほど複雑に深刻に描いていても、どこかしら開けっぴろげで明るい印象がある。生きることを肯定する、理屈のいらない天性の明るさ。それは彼が生まれたカリブの土地の気質そのものであるような気もする。

 子ども時代、彼はケルト系生まれの祖母から、連日のように謎めいた神秘的な民話や幻想的な言い伝えの数々を聞かされ続けていた。その影響は計り知れない。

 死者が平然と彼岸から戻ってくる。主人公は説明のつかない直感や予知能力を働かせて、ふしぎな体験をする。こんなことはあり得ないだろう、と思われるようなことでも、彼の生み出す物語はきわめて現実的であり、どこかでこのようなことが実際に起こっている、と感じさせる。読者は我知らず、物語の宇宙に誘われ、のめりこみ、現実と虚構の境目がおぼろになっていく。カリブ的気質とケルトふうの神話が溶け合い、シャッフルされて、ガルシア=マルケスの世界が生まれたのだと思う。

 この天才的な物語の魔術師は、2010年ころから記憶力の減退を呈するようになった。認知症である。老いは誰にでもやってくる。ガルシア=マルケスにすら。改めてそのことを思い知らされる。

 そのため、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の次に発表されるはずだった本作、中編小説の『出会いはいつも八月』は、未完のままの状態で放置されることになった。

 未完、ということの意味は定かではない。筆が途中までしか進んでおらず、ラストシーンに至ることができなかった、ということなのか。それとも、一応は予定通り、最後まで書き上げはしたものの、全体として入念な推敲がされていない、という意味なのか。

 いずれにしても、作家当人はすでにこの世のものではないのだから、出版の了解を得ることはできない。しかし、その完成度の高さから、捨ておくにはしのびないとして、遺族が出版に踏み切ったのだという。

 作家亡きあと、新たな遺作が出版されたケースはこれまでなかったわけではないが、たいそう珍しいことである。文字通り、最後の作品だからこそ遺作と呼べるのであり、第二第三の遺作、というのは理屈上、あり得ない。何よりも、作家は自分の死後、満足な推敲もできていない作品が許可なく出版されることを決して望まないはずなのだ。

 だが、遺族や関係者らにとって、この『出会いはいつも八月』は、たとえ故人への礼を失することになったのだとしても、読者に届けなければならない作品だった。ガルシア=マルケスは認知能力が損なわれていたからこそ、自身が書いた本作の真の魅力がわからなくなってしまったが、実はこの作品には、往年の語りくちがそっくりそのまま息づいていて、何ら遜色がない、というわけである。本作を読み、私も改めてつくづく、記憶障害とはいったい何なのか、認知症は作家にとって何ほどの影響も与えないではないか、と思った。ここには何ひとつ衰えていない、あのガルシア=マルケスがいる。

 主人公は、アナ・マグダレーナ・バッハという名の、四十代後半になる教養豊かな女性。指揮者(マエストロ)としても活躍中の、たいそう魅力的な音楽家の夫との間には、息子と娘が一人ずつ。夫婦関係はきわめて良好で、何年たっても恋人同士のような情熱的な性愛を交わし合っている。

 そんなアナは、毎年八月になると、カリブの島の高台に埋葬されている母の墓にグラジオラスの花束を供えるため、一人で連絡船に乗って出かけて行く。鳴き交わす賑やかな鳥の声に囲まれ、鬱蒼とした原生林や黄金色のビーチを見下ろせる「世界で唯一の場所」での墓参を終えると、定宿にしている古いホテルで寛ぐ。ベッドに寝ころがって、持参した読みかけの小説を読み、着替えてからホテル内のレストランで簡単な夕食をすませる。そしてゆっくり眠った翌朝はもう、帰りの連絡船に乗り、帰路に着く。

 恵まれた家庭生活、これといった不満のない人生を送っていながら、それは彼女にとって、独りになる快適さを味わえる、夫公認の一泊旅行だった。

 ある年の夏、アナは夜遅く、ホテルでの遅い夕食のあと、ドビュッシーの「月の光」を弾き始めたピアノ伴奏家の横で歌う、混血(ムラータ)の少女の歌に心揺さぶられ、めったにないことだったが、ジンのソーダ割を注文した。すっかり陽気な気分になり、同じく一人で席に座っていた男と会話を交わした。たちまち親しくなり、気がつくと彼女は自分の部屋に男を招き入れ、ベッドを共にしていた。夫以外、男を知らなかった彼女が、生まれて初めて体験した秘密の冒険だった。

 それ以後、アナは毎年、八月になると、母の墓参を名目に島を訪れ、自分でも滑稽なほど興奮しながら、一夜限りの相手を探すようになる。だが、母の墓に向かって秘密の情事を告白する彼女の中に、自分でもどうすることもできない変化が起こり始める。当然、夫にも気づかれる。夫婦の間には不穏な空気が流れ……といった具合に物語は進められていく。

 よくある不倫ドラマのごとき展開、などと、したり顔で評する者がいるのだとしたら、それはガルシア=マルケスが生前、嫌っていた西欧の知識人特有の通俗的な感想と言うほかはない。青く続く浅瀬(ラグーン)が見渡せる古いホテル、天井でけだるく回り続ける扇風機、夕暮れの暑さの中、滴り落ちてくる汗、墓地の藪の奥から姿を現すイグアナ、焼けついた砂とバナナの木々など、貧困と富とが同居しているカリブの島が、文字を通して脳内で鮮やかに映像化される。男と女が一夜限りで睦み合う時の、シーツにしみこんだ汗のにおいを嗅ぎとる。読者は現実なのか、一篇の官能的な散文詩なのかわからない物語の中で、知らずアナと同化していく。

 作中、グラジオラスの花がたびたび登場するが、色については言及されていない。この作家は黄色が大好きで、黄色い花が室内に飾られているだけで、何かいいことが起こる、と信じていたというが、このグラジオラスも黄色だったのか。

 ちなみに思いたってグラジオラスの花言葉を調べてみた。「密会」「禁断の逢瀬」「忍び逢い」などといった言葉が並び、ひょっとすると、作家はこのことを知っていて、小説にグラジオラスを使うという酔狂なことをしたのかもしれない、と楽しい想像をめぐらせた。

 主人公の名前……アナ・マグダレーナ・バッハ、というのも、音楽家ヨハン・セバスチャン・バッハの二度目の妻と同名である。推測の域を出ないが、主人公の父、夫、義父母、さらには長男を成功した音楽家に設定したためではないか、と考えられる。

 物語を芸術の域にまで高めた、この偉大な作家は、人生の終わりに認知症と闘いつつも、カリブふうの茶目っ気のある遊びを見せてくれている。生前のガルシア=マルケスの魅力を何ひとつ損なうことなく、ここにきてまた一つ、心躍る「遺作」が誕生した。

新潮社 波
2024年4月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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