日本で真面目に働く「外国人」が震災に遭ったら…母を喪い国外退去になる青年を救った日本人との絆 #知り続ける
[レビュアー] 本間悠(佐賀之書店店長)
震災にあった外国人のその後とは?(画像はイメージ)
朝日新聞の記者・三浦英之さんが、東日本大震災で亡くなった外国人の足跡を追ったノンフィクション『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)が刊行された。
東北の地を訪ね歩き、知ることができたのは、国籍に囚われない人と人の絆だった。
彼らの面影を辿り、日常のはかなさと、震災後を生きる人間の強さを目の当たりにした著者は、外国人と日本人の共存についても思いを馳せる。
現在、在留外国人数は、およそ341万人――能登半島地震でも海外からの技能実習生が被災したことが報じられるなど、外国人との結びつきが強くなっている令和の日本に刊行された本作の真価とは?
カリスマ書店員としてメディアに取り上げられ、テレビ出演のほか新聞・文芸誌で連載を持つ佐賀之書店(さがのしょてん)の店長、本間悠さんが綴った書評を紹介する。
***
私の職場から近く、時々立ち寄るコンビニに、そのスタッフはいる。
胸につけられたネームプレートにはカタカナが並び、少しだけ違うイントネーションで日本語を話す。いつだったか、私が一番くじを“大人買い”したときには、「ハイッ、20枚! すごいね!」と笑いかけてくれた。かといってそれ以上の会話が交わされることもなく、「このキャラクターが好きなんですか」などと踏み込んでくることもなく、あくまでお店のスタッフと商品を買いに来た客という互いの安全圏を守った刹那のやり取りが、ふんわりと心地良さを残した。
顔立ちや肌の色、そして名前の雰囲気から、なんとなくインド系? そのあたりの人なのではないかと推測してみるけれど、実際私はそのあたりの違いがよくわかっていないので、全然違うのかも知れない。
ただ、その人は目の前のお客様に丁寧に対応していて、気持ちの良い人だなと思う。現在私は、頼りないながらも店長という立場にいるから、特にそのあたりのことが気になってしまうのかも知れない。
佐賀駅構内という立地で、私は書店の店長をしている。私の生活圏内にいる外国人…と考えて、真っ先に思い浮かんだのがその人で、他はお店に立ち寄って下さる外国人観光客だろうか。「これ、袋、入れますか?」(やたらと区切っているだけで、まんま日本語である)彼らとお粗末なコミュニケーションを図る自分と比較して、日本語でスムーズに対応している“コンビニの君”はすごいなと、改めて尊敬すらしてしまう。
しかし、家に帰りスマホを開けば、そこには目を疑うような罵詈雑言が溢れている。
犯人が分かっていない、目下捜索中であるという強盗事件のニュースに、「外国人の犯行だ」と断言するようなコメントがついている。
技能実習生の人権が守られていないと問題視するポストに、「いやなら日本から出ていけ」といった類の返信が並ぶ。
彼らは犯罪者であり、その予備軍であり、私たち日本人の生活を脅かす存在であるとするこれらの主張は、一体どこから来るのだろう。そんなにも外国人に嫌な思いをさせられている人が、実害を被っている人がいるのだろうか。私と同じく一日の仕事を終え、ふっとスマホを開くであろうコンビニの君の眼に、これらの書き込みはどのように映るのだろうか。
出入国在留管理庁の調査によると、令和5年末での在留外国人数は、およそ341万人。この数は過去最高だそうだ。都市によってその割合に差はあり、いわゆる都会ほど割合は高く、私の住む佐賀は全国的に見ても高くはないらしい。
住んでいる場所や職業によって違うのかも知れないが、これまでの嫌なこと・トラブルのほとんどが日本人によって持ち込まれている私からすると、外国人である彼らに、特別な負の感情を抱いている人々の主張は正直よくわからないし、はっきり差別的だと思う。
その差別が、実害は被っていないけれど何となく怖い、いわゆる無知から来ているのだとしたら(人口比を考えるに、ほとんどの人がそうなのではないか)、本書に触れてみるのはどうだろう。このノンフィクションは、日本で暮らす彼らの生活をフラットに描き、“知る”ことに注視しているように思うからだ。
「事実――この国はまだ東日本大震災における外国人の犠牲者数を知らない。」
という信じがたい一文から始まる、ルポライター三浦英之さんの新刊『涙にも国籍はあるのでしょうか』は、東日本大震災から12年目となる2023年に掲載された朝日新聞の特集記事に加筆修正が加えられ、2024年に刊行された。
毎年この時期になると、書店には出版社からのFAXが次々に届く。
「東日本大震災から〇年」「防災への備えを」「震災の記録」そんな商品の案内も年々減ってきている中、外国人被災者に焦点を当てたノンフィクションは珍しいと思ったし、入管問題が浮き彫りとなり、在留外国人数が過去最高を記録した今の情勢に即していると感じた。
日本のアニメやマンガが大好きで、独学で日本語を勉強し続け、大好きな日本で働くために海を渡ったアメリカ人のテイラー。
幼い娘を故郷に残し、出稼ぎに来ていたフィリピン人のメイベリン。
日本人男性と再婚した母に連れられて日本にやってきた、中国人の郭……本書は様々な国籍の外国人である彼らが、なぜ日本に、東北に来ることになったのか、そしてどのように暮らしていたか、震災でどのような被害に遭い、何を失ったのかを淡々と、切々と記してゆく。
著者の、感情の荒ぶりをできるだけ排したような、しかしそれでいて体温のぬくもりを感じる文章が、胸にしじまのように広がってゆく。読み味はとても暖かだが、震災の描写は容赦なく残酷だ。きっと一度はニュースで目にしたことがある光景なのだろうが、それを忘れている自分にも呆れてしまう。
正確な犠牲者数が把握されていないという事実こそが、彼らが日々どのような扱いを受けているのかの象徴だと思うが、義援金が受け取れないなど、彼らが外国人だからこそ受けた不当な扱いも、もちろん記されている。
しかしそれ以上に胸を打つのが、彼らを取り巻くコミュニティの繋がりだ。
前述の中国人・郭は、震災によって、日本に来るきっかけとなった母を亡くしている。
正式な手順を踏んで合法的に来日し、義父の親族が経営する建設会社で働いていた18歳の青年は「日本人の妻である母が死去し、日本での滞在資格を失っている」として、震災後に国外退去を命じられる。
「日本にいろ。これからは俺たちがお前の家族だ」
そんな彼に手を差し伸べたのは、職場の上司であり、共に働いた仲間たちだったというエピソードは、本書の中でも特に心を動かされた場面である。
一人ではない、一人にはしない。故郷を離れた日本での暮らしにおいて、そのように声をかけ続けてくれる存在は、どんなに頼もしく、支えとなることだろうか。震災という、どうにもならない悲劇の前に、せめて一人の人間として正しくありたいと幾度も思った。
今年1月、能登半島地震が日本を襲い、海外からの技能実習生も多く被災したことをニュースで知った。
支援物資を受け取れない、避難所の開設を知らされていないなど、情報が届いていない・情報にたどり着けないゆえに苦労をしている外国人被災者の現状が報じられていた。
彼らを取り巻く環境は、東日本大震災からさほど変わっていないのではないか……と思ってしまうのはあまりに短絡的だろうか。
一人の読書人として、書店員として、読書と社会的な意義を結び付け、この本は読む価値があるとかないとかいう仕草は好きではないが、本書に触れることで、変わるだろう何かは、きっと私たち日本人の誰しもが持っているのではないかと思う。
そう信じて、そっと本書を自店に置く。あなたは一人ではないとのメッセージを込めて。