震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊 #知り続ける

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涙にも国籍はあるのでしょうか:津波で亡くなった外国人をたどって

『涙にも国籍はあるのでしょうか:津波で亡くなった外国人をたどって』

著者
三浦英之 [著]
出版社
新潮社
ISBN
9784103555612
発売日
2024/02/21
価格
1,925円(税込)

震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊 #知り続ける

[レビュアー] 辻山良雄(「Title」店主)


多くの命を奪った東日本大震災(※画像と記事本文は直接関係ありません)

 東日本大震災から13年……日常のはかなさと、生きる人間の強さに触れるノンフィクション『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)が刊行されました。

 あの日、津波で亡くなった外国人は、東北の地でどのように生きたのか? 現地を訪ね歩き、「あの人の面影が、今も自分を生かしてくれている」という実感を胸に凛と生きる人々と出会ったルポライターの三浦英之さんが上梓した一冊です。本書の読みどころを、荻窪の新刊書店「Title」店主、辻山良雄さんが紹介します。

 ***

 本書は、それぞれの事情からこの「日本」という国、それも東北の沿岸部の街まで辿り着き、二〇一一年のあの日を迎えた外国人をめぐるノンフィクションである。それぞれの章はよく抑制された文章で書かれており、起きた出来事の重さを思えば不適切な言葉になるかもしれないが、味わい深い短篇を読んだあとのような読後感も残った。

 著者の三浦英之さんは朝日新聞記者でルポライター。震災翌日から被災地に入り、その年の五月一〇日には宮城県南三陸町に赴任した。被災地の〈個〉の声をひたすら聴いた『南三陸日記』のあとも、三浦さんは東北での取材を続けているが、あるきっかけがあり、津波で亡くなった外国人のことを取材できないか、思うにいたったという。

「あの大震災で何人の外国人が亡くなったんでしょうね? 日本政府はいまだにその正確な数をつかめていないと聞いたことがあるんですが……」

 これは盛岡で、三浦さんがあるモンゴル人青年と酒を酌み交わしていたとき、彼がふと呟いた言葉だ。三浦さんが調べたところ、まず厚生労働省と警察庁が把握している東日本大震災での外国人の死者数が異なっていることがわかり、その違いは集計方法の違いに起因しているという。そして被災地での復興業務を担当する復興庁では、その数を「どちらも正しい」としているが、それは正確な外国人の死者数を把握できていないと、自ら告白しているようなものである。

 ある社会の性質は、極限の状態に置かれたとき、その本性を明らかにするのかもしれない。死者の数がわからないということは、そもそもどれだけの数の外国人が、いまわたしたちのすぐ隣で暮らしているのかわからないということで、認めたくない事実だが、わたしたち日本人がふだん外国人に対して抱いている根本的な無関心、冷たさを表しているのではないか。それはネットで散見される排外的な言葉を持ち出さなくても、一人一人が意識的にならないと取り込まれてしまう、空気のようなものだと思う。

 もちろん「外国人」といってもひと括りにできるものではなく、そこにはそれぞれ、替えの利かない個々の人間がいるだけだ。そしてそれは、どこの国に住む誰であっても同じだろうから、その〈個〉をつぶさに見ていくことが、他者に対する想像力を働かせる一助になるのかもしれない。

「米国と日本の架け橋になりたい」と願い来日したあと、宮城県石巻市で英語教師を務めていた際に被災し、二十四歳で命を落としたアメリカ人女性、テイラー・アンダーソン。

 ひょうきんでいつも笑顔を絶やさなかったパキスタン人のサレーム・モハメド・アヤズは、トラックの運転手の仕事を請け負ったりしながら宇都宮で暮らしていたが、福島県の沿岸部で遺体となって発見された。

 中国人青年の郭偉励は、津波が起こった際、自身は助かったが、母親がその犠牲になった。孤独になりかけた彼をずっと励ましたのは、建築現場の仲間たちからの「お前は一人じゃないんだぞ」という言葉だったという。

 カナダ出身で、生真面目な性格のアンドレ・ラシャペル神父は、地震発生時には仙台にいた。しかし彼は地元の人たちが心配でならず、親友の説得にも応じず塩釜に戻り、その地でそのまま帰らぬ人となった……。

 本書では、東日本大震災で亡くなったそれぞれの外国人が、どのような経緯で日本の東北まで来て、そこでどのような暮らしをしていたのか、その人となりが彼らと関わりをもった人への取材から描き出される。外国人コミュニティの存在や在留資格の問題などあらためて知る話も多く、彼らの日常がいかにアンビジブルなものとして扱われているか、考えさせられることも多かった。そういう意味で本書は、かつて起こったことを書いているだけではなく、いま実際に起こっている話でもあるのだ。

 大切な人を失ったあとも、残された人は自分の人生を生きていかなければならない。津波で我が子三人を失い、そのことで自らを責め続けている遠藤伸一さんを書いたラストの章も胸を打つ。テイラーの両親は娘の遺志を継ごうと、被災地の小中学校に英語の本と本棚を寄付する「テイラー文庫」の活動を続けているが、遠藤さんがその本棚を作っているのだ。津波で子どもを失い、生きる意味すら失いかけた男性が再び生かされたのは、同じく津波で犠牲になった外国人女性の、明るい前向きな意志によってだった。

 涙を流しつくしたあとでも、人は何とか立ち上がろうとする。その力を与えてくれるのは、心ならずも犠牲となった「あの人」の面影――彼らは生者の記憶の中で、いまだ生き続けているのである。

 人はいかに生きるべきなのか。

 ここで読者は、自分が〈普遍〉に触れていることに気がつくだろう。読むと自らに返ってくる、生きる手触りのあるノンフィクションだ。

新潮社
2024年3月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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