『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』
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<書評>『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』福嶋聡(あきら) 著
[レビュアー] 斎藤貴男(ジャーナリスト)
◆名物書店人 思索の記録
いわゆる「ヘイト本」が幅を利かせた棚を見るのが嫌で嫌で、書店の前を通るだけで足がすくんだ時期がある。以前はほぼ毎日、必ず立ち寄っていたというのに――。
書店が消えていく。すまじきものは読書なり、と躾(しつ)けてくるがごときSNS全能の風潮。本の世界の惨状の、思えばあれは幕開けだったか。
そんな折も折に刊行された、名物書店人の思索の記録。ジュンク堂難波店で9年前、「店長本気の一押し!『NOヘイト!』」フェアを企画。差別に満ちた出版物に、旗幟(きし)を鮮明にしながら排除はせず、店頭に並べてのけた男。
著者の持論は「書店は言論のアリーナ(闘技場)」だ。ゆえに「自由な表現を糾弾するのか」にも、「知識の乏しい人が感化されたら」にも、つまりどちらからのクレームにも動じない。すでに存在するものを隠蔽(いんぺい)すれば、構造の強化に通じかねない。対峙(たいじ)して議論することが肝要という。
多彩な切り口から、さまざまなエピソードが語られる。先達たちの考察を取り出しては、ああでもない、こうでもないと縦横に、されど畢竟(ひっきょう)、「言論のアリーナ」論に収斂(しゅうれん)していく構成が示唆に富む。
近年における「反知性主義」こそはヘイト本の温床だとする通説にも、著者は検討を加える。テレビもネットも「知識人」だらけの現代は、むしろ「知性が溢(あふ)れる時代」ではないのかとする社会学者の疑念を引きつつ、「知」は抑圧の源にも解放の力にもなり得るとして、論を深めるのだ。
著者の指摘は重い。「『知』同士の闘いもまた、対極にある相手の『知』を一つの『知』として認めることを前提とする。その前提を引き受けず、闘いの前に相手の退場を要求することは、すなわち闘いの場(アリーナ)の解体を希求することであり、実は自身の闘いの場からの逃走を意味するのである」という。
こうしている間にも、しかし本をめぐる状況は、より深刻さの度合いを増している。気に入らない書籍の版元に、売れば取扱い書店に放火するとの脅迫があった由。「知」の行く末が不安でならない。
(dZERO・3300円)
1959年生まれ。書店員。著書『書店と民主主義』など。
◆もう一冊
『私は本屋が好きでした』永江朗著(太郎次郎社エディタス)