『ケアの倫理 フェミニズムの政治思想』岡野八代著

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ケアの倫理

『ケアの倫理』

著者
岡野 八代 [著]
出版社
岩波書店
ジャンル
哲学・宗教・心理学/倫理(学)
ISBN
9784004320012
発売日
2024/01/23
価格
1,364円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『ケアの倫理 フェミニズムの政治思想』岡野八代著

[レビュアー] 郷原佳以(仏文学者・東京大教授)

支配と従属 変える試み

 毎日ケアをしている。家族に朝食を作り、お弁当を作り、洗濯をし、夕方急いで帰宅すると散らかった部屋を片付け、夕食を作り、風呂掃除をし、子どもに本を読み……。こうした家事という名の他人の世話が「ケア」と呼ばれ始めたのを知ったのは何年前だろう。その後この言葉に触れることが増えたが、まだ自分で使うには至っていなかった。しかし本書を読んでようやく、この概念の意義と必要性が飲み込めた。

 男性研究者の著書の後書きによくある妻子への謝辞が苦手だ。研究のために家庭を顧みなかった自分を支えてくれた家族のおかげでこの研究はある、といった一節。ここには明確に序列がある。重要な仕事と些細(ささい)だが不可欠な営み、前者に魂を捧(ささ)げる自分と後者で自分を支える妻。

 本書では、「ケアの倫理」を打ち出したキャロル・ギリガンの著書『もうひとつの声で』の成立経緯と内容、そして厳しい批判も含む様々な評価についての丁寧で明解な解説が読めるが、次のような一節には深く頷(うなず)かずにはいられなかった。「女性に限らず従属者は、他者の身体的な要求に応え、快適さを与えるような仕事を引き受けさせられてきた。ささいなこと、価値がなく誰にでもできること――とされているが、じっさいには支配者たちは決してやりたがらないし、できないかもしれない――だとして、そうした仕事には低い社会的価値が与えられる」

 しかし、では家事に対価を払おう、家事は外注しよう、というだけでは問題は解決しない。重要かつ厄介なのは、歴史的に従属者に割り当てられてきたにせよ、他者を労(いたわ)り配慮するという営みは、人間関係や社会のあり方にとってポジティヴなものでもあるということだ。ところが「正義の倫理」の枠内では、個別具体的な文脈に基づく関係性は説得的な言葉になりにくい。葛藤を抱えた語りに耳を傾けることで、枠組みそのものを変化させる可能性を探ってゆく。「ケアの倫理」とはそのような抵抗の政治なのだ。(岩波新書、1364円)

読売新聞
2024年5月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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