■2-3 エンタメとしては曖昧すぎる伝承

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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前回のあらすじ

「死者しか知り得ない情報って、たとえば何です?」「うーん」高野さんはしばらく考えて、「徳川将軍の霊でも呼び出して、埋蔵金の在り処を教えてもらう、とかかな」と答えて自分で少し笑った。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■2-3 エンタメとしては曖昧すぎる伝承

 家にたどり着いた頃、夏至を過ぎたばかりの太陽はまだずいぶんと高いところにあった。2階に上って自分の部屋に向かい、カーテンを閉めて西日を遮断した。
 もともとこの家は大叔父(富子とみこばあちゃんの弟)夫婦が4人の子供と住んでいたのだが、大叔父が還暦前に早世し、子供たちもそれぞれ独立していたので、空いた家に母さん夫婦が移り住み、そこに俺が生まれた。ひいじいちゃんも70前に死んでしまったし、どうもうちの家系は男が異様に早死し、女が異様に長生きするらしい。そういう伴性遺伝でもあるのだろう。
 ともかくそうした家なので、両親と3人で住むには必要以上に広い。2階に俺の部屋が2つあって、片方が居室、片方が倉庫になっている。倉庫のほうは夏休みに作った貯金箱とか、中1で買ってもらって中2まで弾いていたギターとか、高校のころに壁に貼っていた元素周期表とか、粗大ゴミから拾って結局使っていない液晶ディスプレイとかいったものが、一応の時系列と秩序をもって積まれている。
 その一番奥のほうにあるファイルボックスを引っ張り出した。小学生の字で「学校以外」と書かれたシールが貼られている。上面にうっすらと積もったホコリをふっと息を吹いて飛ばすと、長いこと日光にさらされて、黄ばんだノートの山があらわになった。俺はそいつをそのまま、隣にある居室に持ち込んだ。
 居室は和室にフローリングマットを敷いて実質洋室にして、勉強机とPCデスクを置いている。古いノートの山を勉強机の上に積み、キャスターチェアをPCデスクから引っ張ってきた。
 B5判のキャンパスノートを1冊ずつ確認し、
「埋蔵金大探査ノート 51組 谷原たにはらゆたか
 とサインペンで書かれたノートを見つけた。「埋」という字を書いたのはこれが人生で初めてだったはずで、偏とつくりの崩れたバランスがそれを思わせる。開いてみると、コピーして貼り付けた町の地図に、鉛筆のメモがそこかしこに書かれている。
「ギザギザの10円玉。昭和28年。だれもひろわなかったということは、このあたりに調べられていない宝がある?」
「ゴミやしき。ここは昔お金持ちだったとばあちゃんが言ってた。夜間になると裏口の窓がピカピカと点滅する」
西田にしだがこの山の途中で地面を掘ったあとを見つけた。要調査」
 といったメモ書きがなされている。「要調査」と書かれた場所を調査した記憶はない。おそらくこれを書いたあたりで、俺の中で埋蔵金ブームが終わったのだろう。そのノートは、俺が小学校の5年から6年にかけてのかなりの時間を、西田と一緒に埋蔵金探しに費やした記録だった。
 町のどこかに隠された埋蔵金の噂に熱中するのは、小学生あるあるだと思う。口裂け女とか、理科室の人体模型が動くとか、そういう系列の都市伝説として。
 そう思っていたのだが、そうでもないと知ったのは高校に入った頃だった。クラスメイトとその話題になった時、誰も彼も「そんな話は聞いたことがない」と首を振った。高校というのは県内の広い範囲から生徒が集まってくるので、埋蔵金の噂を聞いた範囲を調べてみると、俺の住む市内、それも中学の学区3校分くらいでしか流布していないようだった。
 さすがに埋蔵金なんてものを信じなくなった高校当時の俺も、「そんな局所的な噂がどうやって生じたのか」には幾らか興味を惹かれた。テレビやネット由来の話なら、そんな地域的な密集はしないはずだ。具体的な噂の源が、地域のどこかにあるはずだった。