■2-4 学年内ジェネレーションギャップ

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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前回のあらすじ

「埋蔵金大探査ノート 5年1組 谷原豊」とサインペンで書かれたノート。「埋」という字を書いたのはこれが人生で初めてだった。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■2-4 学年内ジェネレーションギャップ

 小1から高校にかけて友達だった西田にしだ世紀せいきについて説明するのは、俺にとってはかなりの困難だ。4軒離れた家に住み、小中高と同じ学校に通い、町内の埋蔵金探しに熱中し、およそ家族以外で最も長い時間を過ごしたにもかかわらず、である。
 これは彼が没個性的な男だったからではない。単に俺の中で「人間」の標準がこの男だったからだ。俺は、自分が人間の標準にならないことを人生の早い段階で理解していたので、おのずと人間の物差しにこの男を使っていたのである。中学や高校で誰かと出会うたびに、ああ、こいつは西田よりも背が低いな、西田よりも声が高いな、といった認識をしていた。
 だから、西田を説明しろと言われると俺は「地球人という種族を説明してください」と宇宙人に問われたような気分になる。彼は身長が170センチほどで少し太り気味だが、100メートルを13秒で走れる。そのわりに持久力は低めで、長く走ると俺より先にバテる。雨の日はひどい癖毛になるので、常に髪を短くしている。そういう表面的な特徴ばかりが浮かぶ。
 最初に会ったのは小学校の集団登校だ。徒歩10分ほどの校舎まで、近所に住む10人ほどがまとまった班で登校するルールになっていた。誘拐とか事故とかそういうのを防ぐシステムらしい。
 同じ班の1年生は俺と西田だけだった。俺は1年生だけに義務付けられた黄色い帽子をかぶって、先頭を歩く6年生のすぐ後ろをついて行った。隣を歩く水色ランドセルの男子も同じ黄色帽をかぶっており、こいつが例のニシダだな、と俺はそいつをチラチラと横目で見た。
 ニシダセイキくんとは仲良くしなさいね、と母親から言われていた。入学式の直後のことだった。後から考えるとこれはせいぜい「喧嘩をするな」くらいの意味なのだが、当時から聞き分けのいい子供だった俺は「ぼくはこいつと『なかよく』しなければならない。つまり何をすればいいのか?」ということを小1なりの頭脳で考えながら、粛々と右足と左足を交互に前に進めていた。
 その時の「なかよし」のイメージはEテレの教育番組だった。動物たちが野原に集まって、軽快な音楽に合わせて手を繋いで踊っているのが俺の知る「なかよし」だった。通学中のどこかのタイミングでそういう音楽が流れ始めるんだろうか、と真剣に考えた。
 だが聞こえてくる音楽らしきものは横断歩道の音響だけだった。ただでさえ不気味な「とおりゃんせ」のメロディが、信号機に据え付けられたメガホンのせいで尚更おどろおどろしく響いていた。前を歩く背の高い6年生の男子は4月なのに半袖を着ていた。自分たちが黄色い帽子を被せられているように、6年にはそういう決まりがあるのだろうか。だとすれば、これから通わねばならない小学校というのはずいぶん恐ろしい場所だった。
 渡り切ったところで、右隣にいた西田はぐりんと首を振ってこちらを見た。本当に「ぐりん」という音が聞こえそうなほど激しい首振りだった。
「ねえねえ、誕生日いつ?」
 と尋ねてきた。
「は? 何?」
「誕生日。いつ?」
「10月16日、月曜日だけど」
 俺が普通に答えると、曜日を言い終えるか終えないかといううちに、
「じゃお前、20世紀生まれじゃん!!!」
 という叫び声が、朝8時の閑静な住宅街にこだました。それによって全ての空気を吐き出したあと、もう一回酸素を補充して、
「おれ21世紀だから」
 と小声で言い添えた。それが俺と西田世紀の初会話だった。