■2−5 使用期限を過ぎた持ちネタ

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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前回のあらすじ

埋蔵金を探す、と言い出したのは西田のほうだった。 小5でクラスが同じになり、給食を終えた後の昼休みだった。「なあユタカ、埋蔵金、探すぞ。姉ちゃんがシリツの大学行きたいから、金あった方がいいし」

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■2−5 使用期限を過ぎた持ちネタ

 結局埋蔵金ブームは1年ほどで終わり、しばらくして小学校生活も終わった。
 ワンタッチネクタイという必要性のわからない装飾品を首にかけ、15分かけて中学まで歩く日々が始まった。なぜか自転車通学は禁止され、なぜか6月になるまで長袖で、なぜか部活は強制参加だった。「生徒の安全を守る」「学び舎に相応しい格好」「豊かな人間性の育成」とかそういった文句が並べられていた。調べてみると「無線部」という活動実績のない部に籍だけ置けば帰宅部になれると知って、俺はその通りにした。
 西田にしだは卓球部に入った。朝練と放課後練があるせいで、小学校のように一緒に通学することはなくなった。
「妙に真面目なんだよな、弱いくせに」
 とぶつくさ言っていた。なんでそんな部に入ったんだ、という俺の疑問をよそに、夏服になる頃にはすっかり馴染んで、昼休みにもラケットをいじるような男になった。
 先生たちは何かにつけて「内申書」という言葉を使った。高校に行くためにはそういうポイントが必要で、妙なルールが多い原因もおそらくそれだった。なるべく生徒が引っかかるようにして、それによって点をつけるシステムなのだろう。俺はそのように理解した。反抗する理由も思いつかなかったので、そういうルールを律儀に守って過ごした。
 そのころ定期試験があり、帰ってきた成績表には「総合 1」と書かれていた。なんの数字かと思ったら学年順位だった。どうも俺は勉強が得意らしい、というのをこの時に理解した。小学校では児童同士の成績比較は極力避けられていたので、学年内の順位というものを見たことがなかったのだ。
 成績表を持ち帰ると父さんは俺のことをひとしきり褒めて、そして同じくらい母さんを褒めた。さすがは君の息子だ、というふうに。父さんは俺を褒めるときは母さんも褒め、俺を叱るときは母さんに謝った。そういう人だった。
 実際のところ学校の勉強は楽しかった。とくに数学と理科が好きだった。内申書のために作られた罠みたいな校則と違って、ひとつひとつのルールにきちんとした意味や必然性があるのが手にとるようにわかった。現実世界を動かしている仕掛けは、よく目の整った編み物みたいに綺麗だった。放課後は図書室に通って、科学の棚にある本を端から読むようになった。
ゆたかはもっと都会の、たとえば東京のさあ、いい高校に行ってもいいんじゃないかな」
 父さんがそんなことを言い出した。俺にはその必要性がわからなかった。母さんにもわからなかった。
「あんた何言ってんのよ、豊はひとりで洗濯したこともないのよ」
 と笑った。そんなものは教えてもらえればすぐ分かるのだが、この自己完結性の高い町で育った母さんには、よその場所に行くのは町が嫌いな人、もしくは町に嫌われた人だけ、という認識がうっすらと根付いていた。
 成績はその後も1位だった。内申書のためのルールもきちんと守っていたので、通知表にはサンプルテキストみたいなきれいな言葉が並んでいた。それを見て父さんは、
「豊はさあ、あのさあ、父さんの高校に行かないか?」
 と言い出した。父さんが教員を務める進学校は、通学圏内ではいちばんの難関校だった。
「いや私立だし、金かかるじゃん」
 と俺は即答した。
「そんくらいは別に大丈夫だけど?」
 と母さんが答えた。
「でもさ、わざわざ払うの無駄じゃね? どうせ教科書読めばわかるんだし」
「そんなこと言わないでくれよ、父さんの給料がそこから出てるんだよ」
「遠いから嫌だし」
「あんた車で送ってあげなさいよ」
「おう、いくらでも送ってやるぞ」
「いやそれはマジで絶対に無理だし嫌」
 と俺は答えた。父親と一緒に通学するのは恥ずかしい、という人並みの反抗心は、ちゃんと思春期を通じて育まれていた。
 西田のほうは、地域で3番目の県立には入れそうな成績だった。中学の進路希望調査でもそのように回答していた。俺はそれを見て、
「じゃ、俺もそこでいいや。近いし」
 と、調査用紙に同じ学校を書いた。
「は? 何言ってんだよ。お前はもっと頭いいとこいけよな」
「いや高校はどこも一緒だろ」
 と答えた。「学習指導要領は文科省が決めるから授業内容はどこも一緒」というつもりだったが、西田のほうは「自分から見れば他のやつらは皆一緒」という意味だと思ったらしい。そういうすれちがいに気づいたのは、もっとずっと後になってのことだ。
 親にそのように報告すると、まあ、あそこなら近いからね、とふたりとも頷いた。そうして受けて受かって入った。制服のデザインが変わり、自転車で通えるようになった。それ以外はこれといった変化はなかった。相変わらず成績は1番だった。
 西田は高校でも卓球部に入り、2ヶ月後に「俺そんな卓球好きじゃなかったわ」と言い放ってやめた。それから放課後は俺の家に来て、持ってきたニンテンドースイッチをひとりで黙ってやっていることが多くなった。俺は YouTube を見ながらそんな西田を横目で見て、
「面白いか、それ?」
 と尋ねた。斧を持った主人公がドラゴンを斬り倒し、いろんな数字がその周りを飛んでいる。