『葉室麟』世界、の引力

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鬼神の如く

『鬼神の如く』

著者
葉室 麟 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103280132
発売日
2015/08/21
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

『葉室麟』世界、の引力

[レビュアー] 青山文平(作家)

 副題の「黒田叛臣伝」からも伝わるように、本作はいわゆる黒田騒動が物語の舞台となっています。伊達騒動、加賀騒動と並ぶ、江戸三大御家騒動のひとつ。長政没後の元和九年(一六二三年)に始まり、寛永十年(一六三三年)に収束を見たとされています。

 私はいちおう時代小説の書き手とされていますが、これまで書いた六冊はすべて十八世紀後半から十九世紀前半までの江戸中後期に焦点を当てており、しかも、実在の人物を主要登場人物に設定する歴史小説は書いたことがありません。ですので、黒田騒動とその背景への理解は心もとないものがあるのですが、そういう私にも、黒田騒動には他の二つの御家騒動とは際立ったちがいがあることは理解しています。

 申すまでもなく、黒田藩は五十二万石の大藩です。その家老である栗山大膳が寛永九年、長政の後の二代目藩主、忠之に反逆の企てありとして幕府に訴状を出します。大膳と忠之側は翌十年、江戸に召還され、居並ぶ老中たちの前で審問を受けるのですが、もう、これだけで、どっちに転んでも無事では済まないと、誰もが想われるのではないでしょうか。

 私が主に書く江戸中期となると、改易など例外的にしかありませんが、時は家光代の改易の嵐吹き荒れる初期です。実際、大膳が上訴するまさにひと月前、あの加藤清正を藩祖とする加藤家の熊本藩が改易になっています。一連の騒動は火薬庫のなかに、それも、もう火が着いてしまっている火薬庫のなかに、松明を持って跳び込むような振舞いなのです。

 ところが、です。結果だけを記せば、黒田藩はほとんど無傷です。改易もなければ、転封も減封もなし。忠之も御殿様でありつづけます。大膳はさすがに南部藩にお預けになりますが、けっして不遇をかこったというわけではなく、手厚く遇されたようです。そうです。江戸城をも巻き込んだあれだけの大騒動であったにもかかわらず、少なくとも藩内には、責めを問われて血を流した者が一人としていなかったのです。これは上訴以前も同様です。他の二つの騒動が凄惨を極めたのに対し、まさに奇跡的に平和なエンディングを迎えることができました。

 だから、でしょう。黒田騒動はずっと人々の関心を集めつづけ、歌舞伎や映画などの題材にもなりました。小説では、しばしば言及されるのは、森鴎外の「栗山大膳」でしょう。もっとも、鴎外自身はこの掌編の出来に納得がいかなかったようで、思わしくない体調と多忙があわさって、ほとんど筋書きにしかならなかったと述懐しています。そして、自分の書いてきた『歴史上の人物を取り扱つた作品』一般についても、歴史資料のなかに窺われる『自然』を尊重したいがために、『歴史離れ』が足りないと自ら評価しているようです。

 自分の作品をして、ディオニソス的(破壊的)ではなくアポロ的(調和的)とまで言及していますから、この問題についてはかなり深刻に突き詰めたのでしょう。なんとかして『歴史離れ』をするために書き上げたのが「山椒大夫」だったのだけれど、仕上がってみれば、『なんだか歴史離れが足りないやうである』とも書いています。それは『わたくしの正直な告白』なのだそうです。

 僭越ですが、歴史小説において、いえ、創造した人物をキャラクターとする時代小説においても、鴎外の言う『歴史離れ』が存在理由となることは言うまでもないと私は考えています。ただ離れたのでは単なる荒唐無稽になってしまいます。ぎりぎりまで、これも鴎外が言うように、歴史資料のなかに窺われる『自然』を尊重し、史実の世界に踏ん張って、しかる後に跳ぶのです。それも、できうる限り、大きく跳ぶ。そこが、歴史小説、時代小説の創造性でしょう。

 葉室さんは歴史小説も時代小説も書かれます。そのいずれでも、読者の大きな支持を得ているのは、葉室さんの跳躍がジャイアントリープだからでしょう。『葉室麟』の『歴史離れ』に、多くの人々が惹きつけられているのです。

 本作「鬼神の如く 黒田叛臣伝」でも、歴史の『自然』を尊重した『葉室麟』の『歴史離れ』が随所に盛り込まれています。それはどこか、そのなかのどの『歴史離れ』が本作の肝なのか。一度目は作者の見えざる手に導かれるままに奔流に攫われるごとく読み、二度目はそういう視座から読んでみるのはいかがでしょうか。私なりの回答はありますが、ネタばれになることもあり、ここでは記しません。是非、ご自身で探検なさってみてください。そういう読み方ができることがまた、『葉室麟』世界の引力なのです。

新潮社 波
2015年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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