奇妙奇天烈なる世界文学の快作登場
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
読者が小説を読む時にやってしまうこと。それは、予測。たとえば〈わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」という物語ですが〉という書き出しを見れば、たいていの人はそれを素直に信じ、成長小説なのだろうとアタリをつけるわけだけれど、しかし、そのように始まるセサル・アイラの『わたしの物語』は、そうした予測のことごとくを予想もできないような形で裏切り、読者を脱力&半笑いの境地へと連れ去るのだ。表題作と「試練」の二作を収録した『文学会議』もまた然り。
主人公は作家にしてマッド・サイエンティストの〈私〉。古の海賊が隠した財宝の謎を解いて大金持ちになった〈私〉は、文学会議へと向かう。目的は、ラテンアメリカ文学界の大物カルロス・フエンテスの細胞を採取すること。というのも、〈私〉は生物の再生化に成功し、クローン軍団による世界征服を企んでいるのだが、その方法が思いつかず、代わりに考えてくれる頭脳役としてフエンテスのクローンを欲しているから。
こうして紹介すると、面白そうと思う人が多いだろうし、実際、めちゃくちゃ面白いのだけれど、それは皆さんが予測する面白さではないのだ。四百年間誰も解けなかった財宝の謎のトリックをはじめ、読者が知りたいと願うことに対し、語り手は説明すると約束しながら、それを果たさない。大事なことの肉づけは行わず、本筋にとってどうでもいいことばかりを詳述する。ラスト近くで、予測不能級に奇天烈な大惨事を起こしながら、そんな事態になった理由と回収の仕方がこれまた予測不能級。
パンク少女の愛と試練に関する理論並びに実践を描いた併録作といい、読み心地のヘンテコさは他の作家の追随を許さない、と思わず強い言葉を使ってしまうほどインパクト大なのだ。予断を持つのがバカバカしくなる、セサル・アイラという唯一無二の個性に瞠目必至の二作品だ。