『穴持たずども』ユーリー・マムレーエフ著

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穴持たずども

『穴持たずども』

著者
ユーリー・マムレーエフ [著]/松下 隆志 [訳]
出版社
白水社
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784560093924
発売日
2024/01/30
価格
4,180円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『穴持たずども』ユーリー・マムレーエフ著

[レビュアー] 宮内悠介(作家)

奇人集う世界 謎の迫力

 一九五〇年代ソ連――小説と言えば社会主義リアリズムしかほとんど書くことが許されなかった時代、著者はのちに伝説となる独自の内的探求を行うサークルを組織し、その後、本書を地下出版する。それがこの、ソローキンなどにも影響を与えたという怪作『穴持たずども』だ。

 物語は主人公の一人であるフョードル・ソンノフが人を殺し、死体を前に身の上話をはじめる場面からはじまる。フョードルという人物は、殺人を通じて存在の秘密を解き、彼岸的なる何物かを探求しているようだ。次に出てくるのが、「現実を不条理の中に閉じ込め」ることに執心する妹のクラーワ。隣人にはごみ溜(た)めを愛するリーダや、その夫、みずからの快楽から子供が生まれることが許せないパーシャがいる。リーダの兄のペーチャは自食者で、妹のミーラは世界を見ながら見ていない。ほか、死を前にして鶏のように振る舞う老人アンドレイなど、基本的に奇人しか出てこない。そうでない者は物語の脇に追いやられる。

 この奇人たちに、また別の意味で奇妙な人たちが目をつける。ドストエフスキーの肖像と「我教」なるものを掲げ、独特な、神秘主義的な独我論を追求するインテリたちだ。かくして物語は最初から最後まで常軌を逸し、奇行と哲学談義が渾(こん)然(ぜん)一体となり、悪臭と汚(お)穢(わい)に満ち、それと同時に、形(けい)而(じ)上(じょう)的な光のようなものがあちこちから射(さ)してくる。「我教」をめぐる思索については、十全に理解するのはたぶんかなり難しい。しかしそれでいながら、地下世界の自由思想の熱気とでも言おうか、謎の迫力と魅力にあふれてもいる。

 一般的な意味で人に薦めやすい本ではないかもしれない。実際のところ、毒物でもあるだろう。が、こういう毒をときおり摂取することは、毒に対する耐性を身につけることにもなるはずだ。とはいえ、そんな「効能」はこのさいどうでもいい。この本は面白い。松下隆志訳。(白水社、4180円)

読売新聞
2024年4月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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